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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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 言語は本当にあるか?

こんな突拍子もない思いがボキュの脳裏をふと横切りました。

誰も言葉が本当にあるのかなんて疑わないんだよね。

そのことを人に伝えるにも言葉に頼るしかないのに、言葉は本当にあるのかなんて・・・

気でも狂ったの?アンタ!

なんて言われるのかもw

まあ、確かに自分で自分を疑ってる自分がいたりするわけで・・・

ところで、言語は人の発明物であり、その発明物を学習して僕達は言葉を話せるようになっていきますよね、生まれたままに言葉を喋る人はいないですから。

元々は自然の状態や動きを感覚機能を通してシンボル化したものから発展して文字や言語が出来上がったのでしょう。

であるとすると、言葉は無から作られた概念であるといえますよね。

僕達は色々の物を言葉で定義しています。

コップやお皿、御箸、茶碗等々数えたら限がありません。

でも、例えばコップには「コップ」という言葉が付着しているわけではなくて、僕達が過去に認識し学習した結果、コップをコップと呼んでいるわけです。

コップの形状を視覚と触覚で認識し、「コップ」という音の響きを聴覚で認識し、水を飲むものと定義し、その行為を蓄積させて知識が出来上がります。

そうするとですよ、僕達はコップはコップと呼び、水を飲む道具で当たり前なんだという感覚が出来上がって、いつのまにかそれが常識なんだと思い込むようになるんですよね。

本当は「コップ」の言葉とその対象である「コップ」の物質は同一ではありません。

まあ、要するに定義された後にコップと認識し得るのであって、定義されていなければコップと認識できないだけなんですけどね。

言葉は対象をシンボル化する働きを持つもので、物や動きの対象を抽象化しているのにすぎません。

言葉の本質は空気を振るわせる音にすぎず、無から作られたシンボルだといえますよね。

蛇足なんですが、無を体感した光の存在(目覚めた人)達は制約のある言葉に頼らないような気がします。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

 
↓○○○○!←当てはめてみて


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