[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
怒りや憎しみといったエネルギーは背骨にあるエネルギーセンターに、
ネガティブなエネルギーとして溜まり、
酷くなるとシコリのような感覚が感じられることもありますね。
怒りや憎しみは意識によって作り出され、結果としてエネルギーの流れを阻害します。
心のチャクラは私達の意識や思考によって状態が変化し、
その意識に応じたエネルギーが発せられます。
ここで、ブッダのお話をしますね。
ブッダが托鉢しながら遊行していました。
夕方近くになり、近くの家に一晩寝床を借りれないかと聞くと、
その家の主人は家の傍にある小屋に泊まることを快諾しました。
ブッダはその小屋で就寝したのですが、
その家の主人はあろうことか、悪戯で毒蛇をその小屋に放したのです。
次の朝、その家の主人がその小屋の扉を開けてみると、
ブッダの傍らの托鉢用の鉢に毒蛇がおとなしく、とぐろを巻いて寝ていたそうです。
まあ、喩えの話なのでしょうか。
ブッダはあらゆる生命の本質を見抜き、私達の命も蛇の命も同等だと知っていたのだと思います。
蛇はブッダの心の慈愛のエネルギーを感じ取って、おとなしく寝ていたのでしょう。
心のチャクラはやはり意識と直結していて、
意識の状態によるエネルギーを発しているようです。
心の中に分別や区別、差別する意識があればそれに応じた相手と反発しあいます。
実相の世界は”ありのまま”起きています。
そのありのままの世界に意味を投げつけ、一体である私達を分離して思考すれば、
必ず、心はそのエネルギーに応じた波動を発し、
発せられた相手方も同じエネルギーを発します。
それを防ぐにはやはり、意識が真実ではない思考をしていることに気づくしかありません。
意識が無色透明になり、私達が一体であると認識さえすれば、
どんな相手でも分かち合えるのだと思いますよ。
精神世界ランキングに参加しています。
遠隔ヒーリング体験者を募集しています(無料)
希望される方はカテゴリーよりセッションをお読みください。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
※浅学ですので、激しい突っ込みはご遠慮ください(笑)
でも、間違いがあれば書き込みしていただくと助かります。
#2-1道を求める アーラーラ仙人
ブッダは教えを求めてアーラーラ・カーラーマ仙人を尋ねました。
アーラーラ・カーラーマ仙人は無所有処という禅定を提唱し教化していましたが、
ブッダはその元で速やかに無所有処の禅定を体得したようです。
無所有処というのは、深い禅定により、見る者も見られるものも何もなく、
心のはたらきが滅し感情も思考も停止することのようですが、
客体と禅定を行う者の合一ではないかと思えます。
ただ、ブッダは無所有処では禅定中は心の働きが滅し感情も思考も停止するが、
禅定のあとはまた元に戻り完全な安らぎには至れないと知り、
アーラーラ・カーラーマ仙人の元から離れます。
#2-2道を求める ウッダカ仙人
アーラーラ・カーラーマ仙人の元を去ったブッダは次にウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元に向かいます。
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人は悲想非非想処(ひそうひひそうじょ)という禅定を提唱し教化していましたが、
またもやブッダはその元で速やかに禅定を体得しました。
悲想非非想処とは、識別するのでもなく、識別しないのでもない、という境地という意味です。
先の無所有処では、
識別作用は消えたというかたちでまだかすかに残存している識別作用そのものが、
ここでは完全に消える、つまり、識別する、しないがまったく意味をなさないほどにまで心のはたらきが停止する、ということなのでしょうか。
これも、感情と思考の停止を目指す瞑想で得られる境地のようです。
しかし、ブッダは「ただ心のはたらきが停止するに過ぎない」と知って、
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元から立ち去ります。
#2-3道を求める 苦行
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元から去ったブッダは、
山林で他の5人の修行者と共に苦行による修行生活に入ります。
一説には他の5人の修行者は、
スッド-ダナ王より王子であるブッダを擁護するために送り込まれたという説がありますが、
他の説ではブッダが短時間で究極の禅定を完成させたことを5人の修行者が知って、
それまでの師を捨ててブッダに従っていたという説もあります。
いずれにせよ、5人の仲間と共に修行していたのは史実とみてもいいかと思えます。
晩年、ブッダは弟子のサ-リプッタにその苦行を回想して語っていますが、
すざまじい苦行をおこない、ありとあらゆる苦行を試行し、
激しい断食の末に前に進もうとすれば、
頭が地面から離れず、真っ直ぐ歩けないような状態を繰り返したと語っています。
しかし、その命を懸けた苦行でさえ、求めるニッバ-ナ(涅槃)へ導きませんでした。
そして、伝説によるとブッダは苦行をいさぎよく捨てたのです。
仲間の修行者はそれを堕落したと見て、袂を分かちます。
#1へ #3へ
byガム
こんばんわ。
さて、あらゆる情報が居ながらにしてネットで取得できる現代は、
ありとあらゆる情報が錯綜しています。
精神世界もそうですよね。
いろいろなスタンスで思うままに語り合っています。
かつての私もそうでしたが・・・
あっと、今でも片鱗はありますね(笑)
でも、
できるだけ縄蛇にならないように気遣いしなくてはいけないと思うようになったんです。
私もこの世界に興味を持ち始めて、
まあ、
持たざるを得ない状況だったのですが、
色々な本やネットで検索して情報を収集しました。
精神世界以外にも仏教、禅の世界観、タオの世界観等に興味を持って、
いまでも、探求中です。
精神世界に戻りますが、
この精神世界の情報にはドグマ(独断)や偏見、我執といった情報も含まれています。
私も以前はかなりテキトーなことを言ってました(笑)
本で得た知識を元に、
体験したことも無いことを書いていましたね。
今では、それはチョット・・・って思いますけどね。
さて、
これも私の独りよがりの意見かもしれませんが、
精神世界を読み解くには以下の点に注意してください。
◇全体性に帰結する情報であること、逆に自我を増長するような情報は注意が必要です。
◇この世の全ての生命、存在が同等であるという視点で書かれた情報か?
◇高次元の存在、天使等は自我を持たない存在であるはず。例えばアセンデッド達は自我から無我へ至っているはずなので、そういった観点から書かれている情報なのか?
◇生命を生かし合う情報か?
◇善悪二元的な観点で書かれている情報は特に注意!
◇不幸や死、病に関して煽っている情報も特に注意!(病・老・死は生きている上で当たり前の現象です。)
どうでしょう?
思い当たる節はありますか?
ただ、そういった情報があるからと言って、全部間違いだと決め付けてもいけません。
それぞれ、その情報の書き手が道程であるという視点で見つめてくださいね。
私も道の過程である一人です。
宗教や道徳は根底的に人を生かすとか生かし合う、
社会から争いを少なくする目的で作られています。
ひとつの教義がおかしいと言って、その宗教が全部間違いだと言うのは過ちですよね。
最後に、一番大事なのは「生かし合う」という情報が一番確実で疑う余地の無い情報です。
精神世界ランキングに参加しています。
遠隔ヒーリング体験者を募集しています(無料)
希望される方はカテゴリーよりセッションをお読みください。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
いくら心が広い人でもいつか処理しきれない出来事が起こると、
CPUが処理しきれず、ハングしますよね。
これでは、意味がないと思いませんか?
怒りと呼ぶ感情を”真実の姿ではない私達”と気づいて捨てるんです。
私達人は宇宙に存在する地球というスペ-スを共有していますよね。
私達人を花に喩えると、
地球と呼ぶ美しい庭で共に咲く花で、
多人種・多民族である人間は色んな形や色や匂いの花になります。
でも、その花の本質である生命は皆変わらないのです。
白くても黒くても赤くても黄色くても、
ちょっと花びらの形が不恰好でも、
萌芽の小さな葉っぱでも、
枯れかけた年老いた花でも、
儚い花の命の本質に変わりはありません。
そして、あるがままに花は咲いています。
私達人も”あるがまま”生命を生きている存在で、
とらわれた心の垢を全て洗い落とせば、
同じ庭に咲く同じ命なんだと気づきます。
怒りはただとらわれた心が感情を発しているのに過ぎません。
とらわれの鳥(心)を鳥篭から開放すれば、
地球上の全ての生命は庭に咲く花なのですね。
花園を鳥が舞う、天国みたいでしょ?
目を閉じて心の中でこう、呟いてみてください。
私達は地球の庭で共に咲く花。
共に雨に耐え嵐に耐え冬に耐え共に咲き、
共に散る儚い命の花。
共にあればこそ咲く花なのだ。
精神世界ランキングに参加しています。
遠隔ヒーリング体験者を募集しています(無料)
希望される方はカテゴリーよりセッションをお読みください。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム