空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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さて、皆さん、10円を手にとってみて下さい。
え?
ないんですか?
お財布もってます?(笑)
じゃあ、隣の人に借りてください。
遠慮しないでくださいね、
私の財布ではないので。(笑)
これぐらいにして、えーと、本題に戻りますね。
皆さん、10円玉はどちらが表だと思いますか?
実は、私も自信がなかったりします。(笑)
前もって、wikiで調べてたりして。(笑)
調べた結果、ここに驚愕の事実が今、明かされます。(笑)
10の数字が書いてある面が表だと思いますよね?
違ったんです。
調べてみたら、造幣局では便宜上、
平等院鳳凰堂が刻まれている面が表としているそうなんですね。
と、いうことは、10の数字と製造した年号が刻まれている面が裏になりますよね。
でも、法律上は表と裏って決めていられないそうなんですけどね。
wikiって本当に便利ですねぇ・・・(笑)
また、話が逸れたので、話を戻しますね。
コインの裏と表は今私が話をしたようにですね、
心の思い込みと、便宜上決めた私達の同意で成り立っていて、
表裏を表す文字や絵柄によって、意識が都合のいいように決めているんですね。
だとしますと、10円玉の裏表は、便宜上決められたものであると認識する知識がなければ、
人によって表裏は違ってきますよね。
蛇足なんですけれど、10円玉も金銭と数字の概念を学んでいなければ、認識できません。
では、コインの裏と表は社会であるとか、
会話の都合上便宜的に決めている観念と理解することができます。
※観念・・・表裏に対する感覚、または感覚によって表裏を決めている心理
例えば、
明と暗という言葉なんですけれども、普通は明=善、暗=悪といった感じに人は捉えがちです。
ですが、
「明」という言葉は「明るい」といった状態をいい表していて、
「暗」は単に「暗い」という状態をいい表していているのに過ぎないんですね。
そこで、
有と無。
貧しいと裕福。
美しいと醜い。
天使と悪魔。
善と悪。
陰と陽。
これらの、対極する言葉は片方の極の状態をいい表しますが、どちらが良いとか悪いとか、
人夫々が恣意的に決めていて、
単に状態を表す言葉に良し悪しを心が付しているに過ぎません。
総じていえる事なんですが、全てのあらゆる物事は”あるがまま”起こっていて、
その、”あるがまま”の事象に心が妄想して感情を創作しています。
朝日も夕日も同じ太陽ですよね?
でも、何故か、人は良いとか悪いとかの観念を付けたがるんですよね。
コインは、一枚の丸い平べったい金属でできた物質です。
私達は、固定された視点から物事を見がちで、ある一面からコインを見ると、
表裏があるように見えますが、
俯瞰をしてみて、全体を見ると、コインは一枚の物質だと判ります。
ここで皆さん、
コインを眺めながら、何故、善悪とか良し悪しといった観念が出来上がったのか、
観想してみてください。
それが、「あるがままの心」への歩(あゆみ)となります。
カテゴリー[あるがままの心]へ
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さて、皆さん、10円を手にとってみて下さい。
え?
ないんですか?
お財布もってます?(笑)
じゃあ、隣の人に借りてください。
遠慮しないでくださいね、
私の財布ではないので。(笑)
これぐらいにして、えーと、本題に戻りますね。
皆さん、10円玉はどちらが表だと思いますか?
実は、私も自信がなかったりします。(笑)
前もって、wikiで調べてたりして。(笑)
調べた結果、ここに驚愕の事実が今、明かされます。(笑)
10の数字が書いてある面が表だと思いますよね?
違ったんです。
調べてみたら、造幣局では便宜上、
平等院鳳凰堂が刻まれている面が表としているそうなんですね。
と、いうことは、10の数字と製造した年号が刻まれている面が裏になりますよね。
でも、法律上は表と裏って決めていられないそうなんですけどね。
wikiって本当に便利ですねぇ・・・(笑)
また、話が逸れたので、話を戻しますね。
コインの裏と表は今私が話をしたようにですね、
心の思い込みと、便宜上決めた私達の同意で成り立っていて、
表裏を表す文字や絵柄によって、意識が都合のいいように決めているんですね。
だとしますと、10円玉の裏表は、便宜上決められたものであると認識する知識がなければ、
人によって表裏は違ってきますよね。
蛇足なんですけれど、10円玉も金銭と数字の概念を学んでいなければ、認識できません。
では、コインの裏と表は社会であるとか、
会話の都合上便宜的に決めている観念と理解することができます。
※観念・・・表裏に対する感覚、または感覚によって表裏を決めている心理
例えば、
明と暗という言葉なんですけれども、普通は明=善、暗=悪といった感じに人は捉えがちです。
ですが、
「明」という言葉は「明るい」といった状態をいい表していて、
「暗」は単に「暗い」という状態をいい表していているのに過ぎないんですね。
そこで、
有と無。
貧しいと裕福。
美しいと醜い。
天使と悪魔。
善と悪。
陰と陽。
これらの、対極する言葉は片方の極の状態をいい表しますが、どちらが良いとか悪いとか、
人夫々が恣意的に決めていて、
単に状態を表す言葉に良し悪しを心が付しているに過ぎません。
総じていえる事なんですが、全てのあらゆる物事は”あるがまま”起こっていて、
その、”あるがまま”の事象に心が妄想して感情を創作しています。
朝日も夕日も同じ太陽ですよね?
でも、何故か、人は良いとか悪いとかの観念を付けたがるんですよね。
コインは、一枚の丸い平べったい金属でできた物質です。
私達は、固定された視点から物事を見がちで、ある一面からコインを見ると、
表裏があるように見えますが、
俯瞰をしてみて、全体を見ると、コインは一枚の物質だと判ります。
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コインを眺めながら、何故、善悪とか良し悪しといった観念が出来上がったのか、
観想してみてください。
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