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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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意識の変容は自分を変えることではないんですね。

あくまで私達が「大いなる一つ」であること、

無色透明で純粋な存在であることを認めることであり、

「悟り」や「覚醒」と呼ばれる意識の状態は、

「あるがまま」の自分を「ありのまま」認めることなんです。

私達は長い間このことを見誤ってきていて、

厳しい修行や禁欲、社会への奉仕といった身を捨てるようなそういった行為をとおしてしか、

「悟り」は得られないと思い込んでしまっています。

また、宗教は善悪の観念を強要して、善が最上の人の生き方だと決め付けていますが、

宗教上の善とは恣意的な観念が殆どといっていいでしょう。

なにが善でなにが悪なのか、だれにもその中間を決定できず、

真の善とは「悟り」を得たその先にあるからなんですね。

ですから、人はなにかにつけて自己嫌悪して、

自分の過去と今の意識や行為、容姿や能力に劣等感を感じることに慣れっこになっています。

そういった劣等感を持って、

「変えていかなくちゃ」とか「もっと、努力をしなきゃ」といって、

さらに高い壁を自らの手で作っているんですね。

高い壁を乗り越えるのを「楽しむ」という生き方もできますよね、

それは、素晴らしいことだと思いますよ。

でも、様々な人がいて、環境や能力からそういった意識をもてない人もいます。

私は「ダメ」な人間なんだ・・・

そんなふうに自己を否定し続けてなにか到達しなければならないと思い込み、

目覚めるなんてとても、とても・・・という人は、

本当はそのままでいたいだけなのかもしれません。

「悟り・覚醒」と呼ばれる意識は、

人と自分の過ちを「この世の見方が間違っていた」ことに原因があると気づくことです。

そして、私達は宇宙の一つの細胞で、

それぞれが機能を決めて生まれてきていることに気がつけば、

自分の能力や職業、容姿を気にしたりしなくなり、

意見や行為の違いを見て人を批判なんてしなくていいことにも気がつきます。

人は「みにくいアヒルの子」のままで、そのまんま愛されていて、

変身する必要なんて、ないんです。

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