空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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誰でも、人に対して怒りを感じる時があり、
どうしても、許せない時があります。
その怒りを持っている時、あなたはあなたの心の中に怒りを生まれさせ、
その怒りを感じている心に怒りを感じ、私的な怒りに身を任せます。
あなたの心と体の内に怒りは生じ、外界には怒りはありません。
怒りを感じている心の外側には怒りはなく、いつもと変わらない世界が存在しています。
私達は、それを長い間繰り返してきました。
なぜ、そうなっているのでしょうか?
真実に気づく意識を持つに至るまで、外に安らぎを求めているからなのです。
外に問題があると思い込んで、私達は外を変えようと躍起になります。
しかし、
本当に変えるべきはあなたの身の内にある心なのです。
あなたの外界の世界は無色透明です。
その、無色透明の世界に感情を投げつけているのはあなたの心です。
人と人、その中に私は存在し、私は大地と空と宇宙に存在します。
絡み合う関係の中で生かされていると気づくのなら、
怒りを感じている対象の私ではない「私」が、
私を生かしていることに気づくのです。
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誰でも、人に対して怒りを感じる時があり、
どうしても、許せない時があります。
その怒りを持っている時、あなたはあなたの心の中に怒りを生まれさせ、
その怒りを感じている心に怒りを感じ、私的な怒りに身を任せます。
あなたの心と体の内に怒りは生じ、外界には怒りはありません。
怒りを感じている心の外側には怒りはなく、いつもと変わらない世界が存在しています。
私達は、それを長い間繰り返してきました。
なぜ、そうなっているのでしょうか?
真実に気づく意識を持つに至るまで、外に安らぎを求めているからなのです。
外に問題があると思い込んで、私達は外を変えようと躍起になります。
しかし、
本当に変えるべきはあなたの身の内にある心なのです。
あなたの外界の世界は無色透明です。
その、無色透明の世界に感情を投げつけているのはあなたの心です。
人と人、その中に私は存在し、私は大地と空と宇宙に存在します。
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怒りを感じている対象の私ではない「私」が、
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さて、皆さん、10円を手にとってみて下さい。
え?
ないんですか?
お財布もってます?(笑)
じゃあ、隣の人に借りてください。
遠慮しないでくださいね、
私の財布ではないので。(笑)
これぐらいにして、えーと、本題に戻りますね。
皆さん、10円玉はどちらが表だと思いますか?
実は、私も自信がなかったりします。(笑)
前もって、wikiで調べてたりして。(笑)
調べた結果、ここに驚愕の事実が今、明かされます。(笑)
10の数字が書いてある面が表だと思いますよね?
違ったんです。
調べてみたら、造幣局では便宜上、
平等院鳳凰堂が刻まれている面が表としているそうなんですね。
と、いうことは、10の数字と製造した年号が刻まれている面が裏になりますよね。
でも、法律上は表と裏って決めていられないそうなんですけどね。
wikiって本当に便利ですねぇ・・・(笑)
また、話が逸れたので、話を戻しますね。
コインの裏と表は今私が話をしたようにですね、
心の思い込みと、便宜上決めた私達の同意で成り立っていて、
表裏を表す文字や絵柄によって、意識が都合のいいように決めているんですね。
だとしますと、10円玉の裏表は、便宜上決められたものであると認識する知識がなければ、
人によって表裏は違ってきますよね。
蛇足なんですけれど、10円玉も金銭と数字の概念を学んでいなければ、認識できません。
では、コインの裏と表は社会であるとか、
会話の都合上便宜的に決めている観念と理解することができます。
※観念・・・表裏に対する感覚、または感覚によって表裏を決めている心理
例えば、
明と暗という言葉なんですけれども、普通は明=善、暗=悪といった感じに人は捉えがちです。
ですが、
「明」という言葉は「明るい」といった状態をいい表していて、
「暗」は単に「暗い」という状態をいい表していているのに過ぎないんですね。
そこで、
有と無。
貧しいと裕福。
美しいと醜い。
天使と悪魔。
善と悪。
陰と陽。
これらの、対極する言葉は片方の極の状態をいい表しますが、どちらが良いとか悪いとか、
人夫々が恣意的に決めていて、
単に状態を表す言葉に良し悪しを心が付しているに過ぎません。
総じていえる事なんですが、全てのあらゆる物事は”あるがまま”起こっていて、
その、”あるがまま”の事象に心が妄想して感情を創作しています。
朝日も夕日も同じ太陽ですよね?
でも、何故か、人は良いとか悪いとかの観念を付けたがるんですよね。
コインは、一枚の丸い平べったい金属でできた物質です。
私達は、固定された視点から物事を見がちで、ある一面からコインを見ると、
表裏があるように見えますが、
俯瞰をしてみて、全体を見ると、コインは一枚の物質だと判ります。
ここで皆さん、
コインを眺めながら、何故、善悪とか良し悪しといった観念が出来上がったのか、
観想してみてください。
それが、「あるがままの心」への歩(あゆみ)となります。
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え?
ないんですか?
お財布もってます?(笑)
じゃあ、隣の人に借りてください。
遠慮しないでくださいね、
私の財布ではないので。(笑)
これぐらいにして、えーと、本題に戻りますね。
皆さん、10円玉はどちらが表だと思いますか?
実は、私も自信がなかったりします。(笑)
前もって、wikiで調べてたりして。(笑)
調べた結果、ここに驚愕の事実が今、明かされます。(笑)
10の数字が書いてある面が表だと思いますよね?
違ったんです。
調べてみたら、造幣局では便宜上、
平等院鳳凰堂が刻まれている面が表としているそうなんですね。
と、いうことは、10の数字と製造した年号が刻まれている面が裏になりますよね。
でも、法律上は表と裏って決めていられないそうなんですけどね。
wikiって本当に便利ですねぇ・・・(笑)
また、話が逸れたので、話を戻しますね。
コインの裏と表は今私が話をしたようにですね、
心の思い込みと、便宜上決めた私達の同意で成り立っていて、
表裏を表す文字や絵柄によって、意識が都合のいいように決めているんですね。
だとしますと、10円玉の裏表は、便宜上決められたものであると認識する知識がなければ、
人によって表裏は違ってきますよね。
蛇足なんですけれど、10円玉も金銭と数字の概念を学んでいなければ、認識できません。
では、コインの裏と表は社会であるとか、
会話の都合上便宜的に決めている観念と理解することができます。
※観念・・・表裏に対する感覚、または感覚によって表裏を決めている心理
例えば、
明と暗という言葉なんですけれども、普通は明=善、暗=悪といった感じに人は捉えがちです。
ですが、
「明」という言葉は「明るい」といった状態をいい表していて、
「暗」は単に「暗い」という状態をいい表していているのに過ぎないんですね。
そこで、
有と無。
貧しいと裕福。
美しいと醜い。
天使と悪魔。
善と悪。
陰と陽。
これらの、対極する言葉は片方の極の状態をいい表しますが、どちらが良いとか悪いとか、
人夫々が恣意的に決めていて、
単に状態を表す言葉に良し悪しを心が付しているに過ぎません。
総じていえる事なんですが、全てのあらゆる物事は”あるがまま”起こっていて、
その、”あるがまま”の事象に心が妄想して感情を創作しています。
朝日も夕日も同じ太陽ですよね?
でも、何故か、人は良いとか悪いとかの観念を付けたがるんですよね。
コインは、一枚の丸い平べったい金属でできた物質です。
私達は、固定された視点から物事を見がちで、ある一面からコインを見ると、
表裏があるように見えますが、
俯瞰をしてみて、全体を見ると、コインは一枚の物質だと判ります。
ここで皆さん、
コインを眺めながら、何故、善悪とか良し悪しといった観念が出来上がったのか、
観想してみてください。
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目覚めた意識は受動的です。
それはまるで、蜜を集めるミツバチを受け入れる花のように。
花は何者も否定せず、ただあるがまま咲いています。
愛と優しさは受動的であり、花のように寛容です。
激しい怒りのような嵐も、無慈悲な雨も、冷たい霜も、ただ不平をもらさず咲いています。
優しいお日様に顔を向けて、咲いているミツバチを包む花のように愛は寛容なのです。
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それはまるで、蜜を集めるミツバチを受け入れる花のように。
花は何者も否定せず、ただあるがまま咲いています。
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激しい怒りのような嵐も、無慈悲な雨も、冷たい霜も、ただ不平をもらさず咲いています。
優しいお日様に顔を向けて、咲いているミツバチを包む花のように愛は寛容なのです。
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目覚めへの道は一つではありません。
そこへ至る道は幾千の通り道があります。
あなたが今、歩んでいる道はあなただけの道でしょうか?
幾千の先人達が歩んできた道の、その未来の道があなたであり、道なのです。
その道の過程に先人達がいなければ、あなたが歩んでいる道はありません。
古の道を白い雲を追いかけて歩んできたあなたの歩む道は、
幾千の生命がその生をかけて作道してきた道です。
あなたの道はあなたが目覚めるための特別な道で、他と比べようがありません。
私達の道は、遥か古代の小さな小路に辿り着き、
私とあなたの未来の道は、光の広場へと続いているのです。
光の広場には古の青い空と白い雲が変わらず、あなたを待ち続けています。
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そこへ至る道は幾千の通り道があります。
あなたが今、歩んでいる道はあなただけの道でしょうか?
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その道の過程に先人達がいなければ、あなたが歩んでいる道はありません。
古の道を白い雲を追いかけて歩んできたあなたの歩む道は、
幾千の生命がその生をかけて作道してきた道です。
あなたの道はあなたが目覚めるための特別な道で、他と比べようがありません。
私達の道は、遥か古代の小さな小路に辿り着き、
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