空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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実しやかに書かれた言葉。
感謝とか、神とか、先祖供養とか。
何故、それをしなくてはならないか?
ってか、そういった状態に何故なるのか、それに言及していない情報はただ、それを言っている人に執着させようとさせているだけなんです。
美辞麗句を並べ立てて、「私」を敬うように仕向けているだけ。
本当に生命の平等と尊厳を考えている人なら、そういった意識へと導くんです。
貴方も僕も外に拝む対象を拵えて、自分が悟るのを面倒だと思い込んでいるだけなんですよ。
だから、本当に貴方のことを考えている人は瞑想とか様々な手法によって、そういった状態に至らしめようってすんです。
綺麗に並べ立てられた言葉に執着させるんじゃなくって、綺麗な言葉なんて「あるようでない」って意識に導きます。
そこに気が付いていない人が「神」という言葉を使って「自己」を満足させようとします。
自己満足なんです。
自己を満たしたいだけ。
それは、幼稚だとおもうんですよね。
大人になったら幼稚な玩具は捨てるべきなんですよ。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓ポチッとな・・・って、押して貰えると「我無」って存在の自己が満たされるだけなんですけどね、自己満足なんです。でも、押してくださいw
感謝とか、神とか、先祖供養とか。
何故、それをしなくてはならないか?
ってか、そういった状態に何故なるのか、それに言及していない情報はただ、それを言っている人に執着させようとさせているだけなんです。
美辞麗句を並べ立てて、「私」を敬うように仕向けているだけ。
本当に生命の平等と尊厳を考えている人なら、そういった意識へと導くんです。
貴方も僕も外に拝む対象を拵えて、自分が悟るのを面倒だと思い込んでいるだけなんですよ。
だから、本当に貴方のことを考えている人は瞑想とか様々な手法によって、そういった状態に至らしめようってすんです。
綺麗に並べ立てられた言葉に執着させるんじゃなくって、綺麗な言葉なんて「あるようでない」って意識に導きます。
そこに気が付いていない人が「神」という言葉を使って「自己」を満足させようとします。
自己満足なんです。
自己を満たしたいだけ。
それは、幼稚だとおもうんですよね。
大人になったら幼稚な玩具は捨てるべきなんですよ。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓ポチッとな・・・って、押して貰えると「我無」って存在の自己が満たされるだけなんですけどね、自己満足なんです。でも、押してくださいw
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ミャンマー(ビルマ)では、上座部仏教の僧侶たちによる軍事政権への抗議が続いているようです。
僕が思っていた僧侶のイメージは、そういった争いごとに首を突っ込んだりせずに静かに座っているのが仏僧ってイメージが強かったんですが、そうではないようですね。
また、身震いしたのは「自分の身と引き比べて殺しても殺させてもならない」というブッダの言葉を実践し、政権側の人間と殺される民衆との「差別」をせずに、争いを止めようとしている僧侶の姿勢に僕はショックを受けました。
まさに、慈悲喜捨の心とはこのことを指すんでしょうね。
とにかく、彼らに心の平安があるように、一日も早い解決を祈るばかりです。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓平和を祈りながら・・・
僕が思っていた僧侶のイメージは、そういった争いごとに首を突っ込んだりせずに静かに座っているのが仏僧ってイメージが強かったんですが、そうではないようですね。
また、身震いしたのは「自分の身と引き比べて殺しても殺させてもならない」というブッダの言葉を実践し、政権側の人間と殺される民衆との「差別」をせずに、争いを止めようとしている僧侶の姿勢に僕はショックを受けました。
まさに、慈悲喜捨の心とはこのことを指すんでしょうね。
とにかく、彼らに心の平安があるように、一日も早い解決を祈るばかりです。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓平和を祈りながら・・・
心はコロコロと流転して、アッチにいったりコッチへふらふら・・・
なんでそうなるかって、制御装置を設置していないからなんです。
まずは、「憎しみ」から例にとってみましょう。
ある人への激しい憎しみは、心を縛り付け四六時中その人への怒りで満たされるようになりますよね。
仕事も手につかないし、家事もまともにできない、子供にも八つ当たりしちゃうw
でも、そんな奥様に朗報!
高性能の怒り報知器をナント!お手頃な価格で!って、これくらいにしておきますがw、僕がこれから説明するのはあくまで一つの手段の説明だと思ってください。
深いところでは憎しみと呼ばれる感情は「単なる妄想」で片づけられます。
まあ、そこに行きつくのは多少骨が折れるわけで、まずは意識の広がりをシャットしようってことなんです。
憎しみの感情から人は様々な妄想を始め、起きてもいないことを想像し、奪われてもいないのに物を取られるんじゃないかとか、自分のいない場所でありもしないことを言うんじゃないかとか、酷くなると殺されるんじゃないかとか、おきてもいない事の妄想を無秩序に拡大させちゃうんです。
そんなときは、まずは大きく深呼吸してください。
そして、ありもしない想像で新たな想像を創造しちゃってる自分に気が付いてください。
もう一回いいますが、ただありもしない想像を心が繰り広げているだけなんだって気が付いてください。
根源的には「自我」への執着がそれをさせているんですが、まずは妄想を繰り広げている意識に気が付くことが重要です。
それが心の制御装置になります。
まあ、応急措置なんですけどね。
でも、応急措置を取り敢えず施しておいて、根源的な原因を探ってみてください。
「私」という感覚は心と体に意識が「私」があるという思い込みによって作られています。
そして、この世界は本当は無色透明で、只心の中で物事を認識しているだけなんだってことに気が付いてみてください。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓制御しながらポチッとな。
なんでそうなるかって、制御装置を設置していないからなんです。
まずは、「憎しみ」から例にとってみましょう。
ある人への激しい憎しみは、心を縛り付け四六時中その人への怒りで満たされるようになりますよね。
仕事も手につかないし、家事もまともにできない、子供にも八つ当たりしちゃうw
でも、そんな奥様に朗報!
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深いところでは憎しみと呼ばれる感情は「単なる妄想」で片づけられます。
まあ、そこに行きつくのは多少骨が折れるわけで、まずは意識の広がりをシャットしようってことなんです。
憎しみの感情から人は様々な妄想を始め、起きてもいないことを想像し、奪われてもいないのに物を取られるんじゃないかとか、自分のいない場所でありもしないことを言うんじゃないかとか、酷くなると殺されるんじゃないかとか、おきてもいない事の妄想を無秩序に拡大させちゃうんです。
そんなときは、まずは大きく深呼吸してください。
そして、ありもしない想像で新たな想像を創造しちゃってる自分に気が付いてください。
もう一回いいますが、ただありもしない想像を心が繰り広げているだけなんだって気が付いてください。
根源的には「自我」への執着がそれをさせているんですが、まずは妄想を繰り広げている意識に気が付くことが重要です。
それが心の制御装置になります。
まあ、応急措置なんですけどね。
でも、応急措置を取り敢えず施しておいて、根源的な原因を探ってみてください。
「私」という感覚は心と体に意識が「私」があるという思い込みによって作られています。
そして、この世界は本当は無色透明で、只心の中で物事を認識しているだけなんだってことに気が付いてみてください。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓制御しながらポチッとな。