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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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仏教研究 #2

※浅学ですので、激しい突っ込みはご遠慮ください(笑)
でも、間違いがあれば書き込みしていただくと助かります。

#2-1道を求める アーラーラ仙人
ブッダは教えを求めてアーラーラ・カーラーマ仙人を尋ねました。
アーラーラ・カーラーマ仙人は無所有処という禅定を提唱し教化していましたが、
ブッダはその元で速やかに無所有処の禅定を体得したようです。
無所有処というのは、深い禅定により、見る者も見られるものも何もなく、
心のはたらきが滅し感情も思考も停止することのようですが、
客体と禅定を行う者の合一ではないかと思えます。
ただ、ブッダは無所有処では禅定中は心の働きが滅し感情も思考も停止するが、
禅定のあとはまた元に戻り完全な安らぎには至れないと知り、
アーラーラ・カーラーマ仙人の元から離れます。

#2-2道を求める ウッダカ仙人
アーラーラ・カーラーマ仙人の元を去ったブッダは次にウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元に向かいます。
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人は悲想非非想処(ひそうひひそうじょ)という禅定を提唱し教化していましたが、
またもやブッダはその元で速やかに禅定を体得しました。
悲想非非想処とは、識別するのでもなく、識別しないのでもない、という境地という意味です。
先の無所有処では、
識別作用は消えたというかたちでまだかすかに残存している識別作用そのものが、
ここでは完全に消える、つまり、識別する、しないがまったく意味をなさないほどにまで心のはたらきが停止する、ということなのでしょうか。
これも、感情と思考の停止を目指す瞑想で得られる境地のようです。
しかし、ブッダは「ただ心のはたらきが停止するに過ぎない」と知って、
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元から立ち去ります。

#2-3道を求める 苦行
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元から去ったブッダは、
山林で他の5人の修行者と共に苦行による修行生活に入ります。
一説には他の5人の修行者は、
スッド-ダナ王より王子であるブッダを擁護するために送り込まれたという説がありますが、
他の説ではブッダが短時間で究極の禅定を完成させたことを5人の修行者が知って、
それまでの師を捨ててブッダに従っていたという説もあります。
いずれにせよ、5人の仲間と共に修行していたのは史実とみてもいいかと思えます。
晩年、ブッダは弟子のサ-リプッタにその苦行を回想して語っていますが、
すざまじい苦行をおこない、ありとあらゆる苦行を試行し、
激しい断食の末に前に進もうとすれば、
頭が地面から離れず、真っ直ぐ歩けないような状態を繰り返したと語っています。
しかし、その命を懸けた苦行でさえ、求めるニッバ-ナ(涅槃)へ導きませんでした。
そして、伝説によるとブッダは苦行をいさぎよく捨てたのです。
仲間の修行者はそれを堕落したと見て、袂を分かちます。

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byガム
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