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心が囚われていると、やっぱり晴れ晴れしませんなぁ・・・
僕もまだこだわりみたいな心のシコリがあって、特定の人に恨みとかほんのチョッピリあるんです。
チョッピリですよ。(←自己弁護w)
まあ、チョッピリでも大きくても結局は悟ってはいないってことなんでしょうけど、その心のシコリは我執が作っているんです。
例えば、他人との意見の相違があります。
そこで論争やら争いとか批判をしたりするんですが、それは私の知識とか意見が人より優れていると思っている、または思いたいんですけど、知識や意見をとおして「私」を優位にしたい。つまり、私を守りたいと思っているんですね。
時には第三者に同意を求めたりもしてね。
けれど、これは誰でもしていて、もし、貴方が悟ったとしても行き着くその過程の中で必ずすることでしょう。
ええと、ここで注意しなくちゃいけないんですが、謙遜もまた我執の現れであるんです。
謙遜は傍から見れば慎ましい人だと人は思うのかもしれませんが、これも謙遜という態度で自分を優位に立たせたいという気持ちの表れでもあるんですね。
で、
なんでこんなことを言い出したのかと言うと、僕がとある人との会話で真理に基づいて?照らし合わせて?忠告したことにより、相手が気分を害したようで・・・
まあ、言い方も相手の身になって言っていなかったこともあるんですが、一番の原因は僕が上から目線で言い放ったことにあるんでしょうね。
つまりは、僕の知識をただ単に優位にしたかった。優越感を感じたかったんじゃあないんですが、我執で知識を押し付けたってことでしょう。
仮に僕が言ったことが本当に真理だったとしても相手に理解できない忠告は返って毒にもなりかねません。
まあ、自己反省なんですが、できるだけ相手の目線で見てあげること、それと、共感してあげることがまず一歩なのかもしれません。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓教官!じゃなくて、共感ッス!