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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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仏教研究 #1

※浅学ですので、激しい突っ込みはご遠慮ください(笑)
でも、間違いがあれば書き込みしていただくと助かります。

#1-1仏教とは何か?
私の考える仏教とは宗教でも哲学でも思想でもない、
当たり前のことを説く”生きるための教え”というスタンスで、悟りへ至る道順を示した地図と認識しています。
そして、このへんは宗旨によって解釈が違うのだと思いますが、
仏教が他の宗教と違う確定的な要素は不可視なるものを対象とせずに信仰に導いていない点と、
信仰を基礎とする宗教を批判しない点にあると思えます。
ブッダはあくまで月(真理)を指す指であって、その目的はブッダを信仰することではなく、月(真理)を見ることにあるのだと思います。

#1-2ブッダの生誕と出家
ブッダは約2600又は2500年前程にインド大陸ヒマラヤ山南のコーサラ国に従属するカピラバッツ共和国を統治するシャカ族の王子として生まれました。
誕生日は諸説あり、二月八日とする説と四月八日とする説がありますが、
日本に伝わっている大乗仏教では四月八日としています。
上座部といわれる南伝仏教は二月八日の説のようです。
ブッダの生誕したルンビニは現在ではネパ-ル国に存在します。
ブッダが生存した当時のインド大陸はマガタ国とコーサラ国の二つの大国があり、
カピラバッツ共和国はその大国にほぼ挟まれる様に位置していたようです。
ブッダは幼名をシッダッタと言い、スッド-ダナ王とマ-ヤ王妃の間に生まれましたが、ブッダ生誕後7日にマ-ヤ王妃が亡くなり、母の妹であるマハ-パジャーパティーに養育され成長しました。
そして成長しましたが、その青年時を回想した経典では次のように語っています。

私は無上の快さを味わっていた。
我が父の王城にはハス池が設けられていた。
そこにはあらゆる種類の蓮華が植えられていたが、それは私の為であった。
私の衣服は全て最高のもので仕立ててあった。
(中略)
私はこのように裕福で、このようにきわめて快くあったけれども、このような思いが起こったのだ。
無学な凡夫は、みずから老い、病み、死にゆくのもので、同様に逃れないのに、老衰し、病み、死んだ他人を見ては、考え込み、悩み、恥じ、嫌悪している。我もまた老い、病み、死にゆくもので、老い、病み、死にゆくのを逃れないのに。老衰し、病み、死んだ他人を見ては、考え込み、悩み、恥じ、嫌悪するだろう。
このことは私にはふさわしくないと思って。
私(ブッダ)がこのように観察したとき、青年時における青年の若々しさは、まったく消沈してしまった。

青年期のブッダは病・老・死といった苦しみに対して恐怖し思い悩んだようです。
ブッダは後に結婚しラ-フラという男の子を儲けましたが、29歳で出家しました。
ニッバ-ナ(涅槃)を求めるために。

※ブッダはマーヤ婦人の右脇から生まれ、七歩歩いて右手で天を指し、左手で天を指し天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言った。と、言われていますが、これはブッダの過去七仏の第一仏のエピソードによるものです。過去七仏とはブッダが輪廻転生した過去を記す物語で、これはあくまで伝説(創作)と言われています。ブッダが言ったのではないのですが、仏教ではニッバーナに達した釈尊の教えが尊いと解釈しています。私的にはブッダは自我を否定して無我を説いていますので、「この世に生まれた生命全ては等しく尊い」と解すのが妥当だと思えます。

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by ガム
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