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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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「私」はあるか?

「自我」って本当にあるのかないのか?

無我ってなあに?

無我・・・

僕も最初はこの「無我」って言葉の理解に苦しんだんだよねぇ。

最近になって徐々に理解が進んだけれども、

いやいや、まだまだなんですよね。

ところで、皆さんは自分の体ってあると思いますか?

肉体はありますよね、でも、自分のモノなのかはあやしいんですよ。

よーく考えると肉体も与えられていて、自力では生まれてこれないし、

肉体を保つにも宇宙の助けが居る。

個を識別する名前も生まれる前から決まっていたわけじゃなく、

そもそも、生まれることも決まっていなかったのかもしれない。

生まれてから名前で呼ばれて、

私とか僕という言葉を覚えて個人として存在していると誤った認識を覚えこむ。

「私」とは言葉でしかないんですよね。

これって、意識が「私」と思い込んでいるだけなのかもしれませんよね?

例えば、誕生日とかクリスマスとかにプレゼントを貰った経験は誰にでもあると思うんですが、

与えられたプレゼントを「○○ちゃんのモノだよ」と渡されて、

私のモノだと認識する。

でも、よーく考えてみたら与えられたモノを私のモノと意識がモノに私を投げつけているだけにすぎません?

じゃあ、この体だって宇宙から与えられているわけで・・・

そもそも与えられた体だったら、

その行為で得た対価だって私のモノではないんですよね。

そして、体験による認識や学習による知識も既成の認識をただ覚えてるだけであって、

私のモノではないじゃないですか。

私達は「百科事典」を私だと勘違いしているだけなんですよ。

個人毎の百科事典は経験や学習によって空白が埋められてきますが、

そもそもその項目や区別や名称は既にある認識に過ぎません。

さらに、その認識も作られた認識であって、只、宇宙を区別している誤った認識にすぎなかったりします。

そしたら、私は単に宇宙の一部なのか、それとも一部がなければ全体も構成されないから、

宇宙そのものなのか、一部も全部もないのか・・・

うーん。

うまく言えないw

うまい表現はできないけど、やっぱり、僕は宇宙。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

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