空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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今まで環境が悪い、会社の上司が悪い、取引先の社長が悪い、
制度が悪い、社会が、親が、兄弟が、親戚が、友人が・・・・
みーんな自分の外の世界が悪いんじゃぁー!!って思っていた。
けど、これって大きな間違い。(笑)
自分の身の回りの環境を選別しているのは意識なんですよねぇ・・・
そこに気が付いたら、愕然として今までオイラはナニやってたの!って、
唖然としている自分が居た。
けれど、そこに気が付いて、同時に狂気乱舞している自分も居たんですよ、
感情に振り回されない生き方を暗中模索していて、
気が付いて「そうだったんだ!!!」って、叫んでた。
それまで、無理やり慈愛とか光とか愛とかそういった意識を持たないといけないんだゼ!
なんて、
判ったフリをしてスピリチュアルルルル♪ーなんてほざいたりなんかしてたからね。(笑)
見えない存在に振り回されて、
「騙されたぁーチクショー!」って思い込んじゃってるのも意識なんですよね。
環境、環境って言ってもそれを味方につけている人も居るし、
僕みたいに逃げ回っている人も居る。
その差は何か?って言ったら、意識の違いなんだろうね。
「見えない世界に救いを求めて、信じていたのに・・・何故なの・・・シクシク」
実は、僕もそうだった。
では、信じていたから相手が自分の思っている答えを出してくれるかと言ったら、それは違う。
信じているから、騙されないなんてことはなくて、
騙されたから、その存在は「悪霊」と決め付けているのは意識なんだよ。
相手から見たら、その相手がしたいことをしただけであって、
自分が勝手に騙さないと「決め付け」ている。
で、騙された=裏切られた=悲しみと憎しみ(感情)
これって、蓄積された経験と情報から感情を選択しているだけなんだよね。
もっと早く感情と言う厄介な妄想のプロセスに気が付いていたらなぁって思うんですよ。
そしたら、僕の人生はもっと違っていたかもしれないなんてね。
・・・
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制度が悪い、社会が、親が、兄弟が、親戚が、友人が・・・・
みーんな自分の外の世界が悪いんじゃぁー!!って思っていた。
けど、これって大きな間違い。(笑)
自分の身の回りの環境を選別しているのは意識なんですよねぇ・・・
そこに気が付いたら、愕然として今までオイラはナニやってたの!って、
唖然としている自分が居た。
けれど、そこに気が付いて、同時に狂気乱舞している自分も居たんですよ、
感情に振り回されない生き方を暗中模索していて、
気が付いて「そうだったんだ!!!」って、叫んでた。
それまで、無理やり慈愛とか光とか愛とかそういった意識を持たないといけないんだゼ!
なんて、
判ったフリをしてスピリチュアルルルル♪ーなんてほざいたりなんかしてたからね。(笑)
見えない存在に振り回されて、
「騙されたぁーチクショー!」って思い込んじゃってるのも意識なんですよね。
環境、環境って言ってもそれを味方につけている人も居るし、
僕みたいに逃げ回っている人も居る。
その差は何か?って言ったら、意識の違いなんだろうね。
「見えない世界に救いを求めて、信じていたのに・・・何故なの・・・シクシク」
実は、僕もそうだった。
では、信じていたから相手が自分の思っている答えを出してくれるかと言ったら、それは違う。
信じているから、騙されないなんてことはなくて、
騙されたから、その存在は「悪霊」と決め付けているのは意識なんだよ。
相手から見たら、その相手がしたいことをしただけであって、
自分が勝手に騙さないと「決め付け」ている。
で、騙された=裏切られた=悲しみと憎しみ(感情)
これって、蓄積された経験と情報から感情を選択しているだけなんだよね。
もっと早く感情と言う厄介な妄想のプロセスに気が付いていたらなぁって思うんですよ。
そしたら、僕の人生はもっと違っていたかもしれないなんてね。
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※記事は左のカテゴリーごとに分類して、リンクしてあります。
※アセンションについてちょっとした疑問が生じたので、ガイドと対話してみました。
巷で、アセンション、アセンションと叫ばれていますが、一体どんな状態なんでしょう?
(全体的な意識に回帰することだ。)
その全体的な意識と言う定義が人によって曖昧な気がするんですが・・・
(個人個人の知識と言う前提的な認識によって、その差が生まれるからだよ。)
疑問に思うのは、家族や社会、国家レベルで分別して考えている人がアセンションしたと明言していることなのですが、その状態って本当のところどうなんですか?
(あくまで全体的な意識、地球規模での意識との調和がアセンションの定義だとしたら、至ってないだろう。)
やはり、そうなんですね。
私も含めてなのですが、前提的な情報で「アセンションとは、このようです」と情報を提供されれば、その規範によってアセンションを認識してしまいますよね。
(そういった状態は、いままでも繰り返されてきた。ただ、今回のアセンションに関しては、全体的な意識の認識と状態に到達し易いことに特別な意義がある。)
なるほど。確かに今は地球レベルでアセンションに関して関心が高まっていますし、そういった活動をしている人も増えていて、一昔前なら、胡散臭がれて相手にされませんよね。
(地球レベルで物事の利益を考える人が増えてきたと言うことだ。)
ところで、タイムリーな話題なんですが、中国との尖閣諸島の問題ですが、あなた方(光の存在)から見たらどうなんでしょう?
(日本と中国の区別はしないし、どちらが正しいかの判断はしないね。)
でしょうね(笑)そう言うと思ってました。
実は、とあるブログを見ていて、アセンションしたと明言している人が尖閣諸島問題を日本の領土として中国を批判をしていたので、それってアセンションしているの?って疑問に思ったのでガイドさんに質問したかったのです。
(過去にアセンションした存在達はあくまで、地球と言う認識を持っている。)
やはり、国家間の区別はしないんですね?
(そうだ。だが、国家間の区別している人ととそうでない人の区別もしない。)
ははぁ、私も反省しろと言いたいんですね?
(そうだ。君はその人を批判している。君も少し前まで、今でも少し国家間の問題に対して日本人と言う目線で判断していた(いる)。自分もそうだったのに何故その人を批判するのかい?)
・・・
確かにそうですね、耳の痛いところです。
私も未だ道の過程を歩んでいて、その方よりも少しだけ前に行っているのかもしれません。でも、今の状態もその過程(状態)があればこそなんだと言いたいのですね?
(そう。過去の自分を批判するのと同じだし、今の自分も過去がなければいないだろ?)
ええ、それは認識を改めないといけないなと思います。
(アセンションを果たした存在達はどういった目線で見るか、考えることだ。)
最近になって、それが凄く重要だと思うようになっています。
覚醒(アセンション)の意識レベルに関してのガイドさんとの対話はここでとりあえず終了にしたいと思います。
どうも、ありがとうございました。
さて、アセンションの意識レベルについて、以下に私の考察ですが、まとめたいと思います。
■国家や社会、家族や個人といった区別で物や人や出来事を判断はしない。
■上記の認識を持っている人も批判しない。
■自己と呼ばれる意識から私(自己)とは意識の認識作用なのだと、認識している。そして、全体がなければ私とは成り立たないと思うに至る。
■争いや犯罪、そこに善悪の観点で判断をしない。(※重要なことなのですが、その認識に至って、犯罪を否定するに至る。)
私の意識レベルで考察するアセンションと呼ばれる意識状態は大まかにこんなところでしょうか。光の存在達からこの世の出来事を観れば、全て法則によるあるがままの出来事で、優劣や善悪の区別はしないでしょう。そして、その視点に至るにはエゴを蓋をせずに見つめて、開放することが早道なのではないかと感じます。
[カテゴリー光からのメッセージへ]
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巷で、アセンション、アセンションと叫ばれていますが、一体どんな状態なんでしょう?
(全体的な意識に回帰することだ。)
その全体的な意識と言う定義が人によって曖昧な気がするんですが・・・
(個人個人の知識と言う前提的な認識によって、その差が生まれるからだよ。)
疑問に思うのは、家族や社会、国家レベルで分別して考えている人がアセンションしたと明言していることなのですが、その状態って本当のところどうなんですか?
(あくまで全体的な意識、地球規模での意識との調和がアセンションの定義だとしたら、至ってないだろう。)
やはり、そうなんですね。
私も含めてなのですが、前提的な情報で「アセンションとは、このようです」と情報を提供されれば、その規範によってアセンションを認識してしまいますよね。
(そういった状態は、いままでも繰り返されてきた。ただ、今回のアセンションに関しては、全体的な意識の認識と状態に到達し易いことに特別な意義がある。)
なるほど。確かに今は地球レベルでアセンションに関して関心が高まっていますし、そういった活動をしている人も増えていて、一昔前なら、胡散臭がれて相手にされませんよね。
(地球レベルで物事の利益を考える人が増えてきたと言うことだ。)
ところで、タイムリーな話題なんですが、中国との尖閣諸島の問題ですが、あなた方(光の存在)から見たらどうなんでしょう?
(日本と中国の区別はしないし、どちらが正しいかの判断はしないね。)
でしょうね(笑)そう言うと思ってました。
実は、とあるブログを見ていて、アセンションしたと明言している人が尖閣諸島問題を日本の領土として中国を批判をしていたので、それってアセンションしているの?って疑問に思ったのでガイドさんに質問したかったのです。
(過去にアセンションした存在達はあくまで、地球と言う認識を持っている。)
やはり、国家間の区別はしないんですね?
(そうだ。だが、国家間の区別している人ととそうでない人の区別もしない。)
ははぁ、私も反省しろと言いたいんですね?
(そうだ。君はその人を批判している。君も少し前まで、今でも少し国家間の問題に対して日本人と言う目線で判断していた(いる)。自分もそうだったのに何故その人を批判するのかい?)
・・・
確かにそうですね、耳の痛いところです。
私も未だ道の過程を歩んでいて、その方よりも少しだけ前に行っているのかもしれません。でも、今の状態もその過程(状態)があればこそなんだと言いたいのですね?
(そう。過去の自分を批判するのと同じだし、今の自分も過去がなければいないだろ?)
ええ、それは認識を改めないといけないなと思います。
(アセンションを果たした存在達はどういった目線で見るか、考えることだ。)
最近になって、それが凄く重要だと思うようになっています。
覚醒(アセンション)の意識レベルに関してのガイドさんとの対話はここでとりあえず終了にしたいと思います。
どうも、ありがとうございました。
さて、アセンションの意識レベルについて、以下に私の考察ですが、まとめたいと思います。
■国家や社会、家族や個人といった区別で物や人や出来事を判断はしない。
■上記の認識を持っている人も批判しない。
■自己と呼ばれる意識から私(自己)とは意識の認識作用なのだと、認識している。そして、全体がなければ私とは成り立たないと思うに至る。
■争いや犯罪、そこに善悪の観点で判断をしない。(※重要なことなのですが、その認識に至って、犯罪を否定するに至る。)
私の意識レベルで考察するアセンションと呼ばれる意識状態は大まかにこんなところでしょうか。光の存在達からこの世の出来事を観れば、全て法則によるあるがままの出来事で、優劣や善悪の区別はしないでしょう。そして、その視点に至るにはエゴを蓋をせずに見つめて、開放することが早道なのではないかと感じます。
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※ガイドとのやり取りを対話形式で、記録しています。
さて、
前episode115で、蓋をせずに怒りを感じる過去の出来事に決着を付けるように促された私なのですが、その対象者であるFさんのことをかいつまんでお話しします。
前に務めていた会社の上司であったFさんは支店長と言う立場で、実はこのFさんに誘われてその会社に入ったのです。この会社の母体がまあ、堅実な会社であったこともあり、二つ返事で誘われるままに転職しました。しかし、実体は違った訳で・・・(笑)このF上司は平然と横領をしていて、その手伝いをさせようと目論んでいたのが腹の内だった訳です。当然、争いが生まれ結果として私は現在、別の会社で働いています。
まあ、横領の手伝いをさせようと目論んでいたわけですから、私の中では怒りの対象となり、その怒りのエネルギーがアナハタチャクラの詰まりとして現れている訳で、いまだに理不尽だなぁって感じているんですね。
私としては正当な怒りじゃないかと思うわけです。でも、それで体の違和感に悩まされているのも事実です。
(正当な怒りなどない・・・)
まあ、実のところそこには気がついて居たりします。でも、やはりどこか許せないような気がしています。
(蓋をせずに、時間を取って向き合いなさい)
ええ、だからこうして対話しようと時間を取っていますが。
それと内観をして感情を見つめる努力を始めました。
ところで、内観のテクニックでなにか助言はいただけますか?
(0(零)を掛けることだ)
あ、判りました!
感情が正負に触れたときに、0(零)を掛けて元に戻せと言いたいんでしょ?
(まあ、間違っては居ないが・・・)
それだけでは足りないんでしょうか?
(そう、相手のことを忘れている)
・・・
えーっと、私の感情は外に起きている出来事に対して、私の心で正邪の判断をしていて、その正邪の判断は私の経験ですとか、知識から得られた正邪の判断であって私的で恣意的な価値判断です。
(そう、続けなさい・・・)
相手のことですよねぇ・・・
相手のFさんの良し悪しは確かに私の価値基準で私が評価を下していますね。
で、たぶん、おっしゃりたいのは相手のFさんは無色透明で善悪といった存在ではない・・・また、相手の行為にも善悪の価値は付着してはいない。
と、言うことでしょうか?
(そうだね。相手に原始から付着している善悪というのはない。君(心)がそれを付している。)
そうですよね。
冷静に考えれば、そうだと私もいつも思うのです。そもそも人自体に価値が付いているわけではなくて、あくまで人の意識下にしか価値はありません。
でも・・・
しかしですよ、社会的に見たらFさんの行為は反社会的な行為ですよね?たとえ、人それぞれ価値判断が違っていて、それは幻想に囚われているからだとしても、社会的な利益から見たらその行為はどうなんですか?
(褒められた行為ではないね)
そうですよね、そうなんですよ。
社会にそれがはびこったら、人と人とが信頼しにくくなります。
(褒められた行為ではないが、社会的に見た価値判断も君の意識下の判断ではないかい?)
・・・
そうです。
確かに・・・
(社会的にこうあるべきである・・・それも君の観念だよね)
はい。
(それに、社会的な価値判断も流転変化している)
あぁ、確かに時代によってブレがあります。
私も違う時代に生まれていたら、見方が違うのかもしれません。
(意識に0(零)を掛けたら、ただあるがままに事は起きているということになる)
では、犯罪や略奪も肯定されるのですか?
(そうは言っていない)
では?
(意識に問題があって、その行為に善悪はないと言うことだ)
はぁ、エゴに問題があると言いたいんですね?
(そうだ。が、エゴを持つことは至極まっとうな事なんだよ)
なんとなく、理解できます。
でも、読者の方にはちょっと説明が必要でしょう。
(そうだね。)
まあ、それは別の機会に対話するとして・・・
話をまとめると、人やその人の行為に問題?と言うか善悪・良し悪しといった価値観は付着していなくて、観察者側の価値判断で良し悪しを決めていると言うことなんですよね?
(そうだ。)
そこでおっしゃりたいのは意識に0(零)を掛けなさいという事なんですね?
(うん。感情だけではなく見つめる相手にも0(零)を掛けなさい)
ああ、なんとなく理解できました。
(本当に?)
見透かされていましたね(笑)実はまだ引っかかりがあります。
(意識下の対話だけだと、新たな知識は入らないからね。
だから、知ることは重要であるし本やネットから情報を得ることも重要なんだよ。)
そうですね。
本に書いてあることや、ネットからの情報・・・それと経験がないとチャネルしても先へと進めないと言うことは最近になって良く判りました。
この話題に関し先に進むには、もう少し私の知識が必要なようです。時期がきたと感じたらまた話題にしたいと思います。では、ありがとうございました。
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さて、
前episode115で、蓋をせずに怒りを感じる過去の出来事に決着を付けるように促された私なのですが、その対象者であるFさんのことをかいつまんでお話しします。
前に務めていた会社の上司であったFさんは支店長と言う立場で、実はこのFさんに誘われてその会社に入ったのです。この会社の母体がまあ、堅実な会社であったこともあり、二つ返事で誘われるままに転職しました。しかし、実体は違った訳で・・・(笑)このF上司は平然と横領をしていて、その手伝いをさせようと目論んでいたのが腹の内だった訳です。当然、争いが生まれ結果として私は現在、別の会社で働いています。
まあ、横領の手伝いをさせようと目論んでいたわけですから、私の中では怒りの対象となり、その怒りのエネルギーがアナハタチャクラの詰まりとして現れている訳で、いまだに理不尽だなぁって感じているんですね。
私としては正当な怒りじゃないかと思うわけです。でも、それで体の違和感に悩まされているのも事実です。
(正当な怒りなどない・・・)
まあ、実のところそこには気がついて居たりします。でも、やはりどこか許せないような気がしています。
(蓋をせずに、時間を取って向き合いなさい)
ええ、だからこうして対話しようと時間を取っていますが。
それと内観をして感情を見つめる努力を始めました。
ところで、内観のテクニックでなにか助言はいただけますか?
(0(零)を掛けることだ)
あ、判りました!
感情が正負に触れたときに、0(零)を掛けて元に戻せと言いたいんでしょ?
(まあ、間違っては居ないが・・・)
それだけでは足りないんでしょうか?
(そう、相手のことを忘れている)
・・・
えーっと、私の感情は外に起きている出来事に対して、私の心で正邪の判断をしていて、その正邪の判断は私の経験ですとか、知識から得られた正邪の判断であって私的で恣意的な価値判断です。
(そう、続けなさい・・・)
相手のことですよねぇ・・・
相手のFさんの良し悪しは確かに私の価値基準で私が評価を下していますね。
で、たぶん、おっしゃりたいのは相手のFさんは無色透明で善悪といった存在ではない・・・また、相手の行為にも善悪の価値は付着してはいない。
と、言うことでしょうか?
(そうだね。相手に原始から付着している善悪というのはない。君(心)がそれを付している。)
そうですよね。
冷静に考えれば、そうだと私もいつも思うのです。そもそも人自体に価値が付いているわけではなくて、あくまで人の意識下にしか価値はありません。
でも・・・
しかしですよ、社会的に見たらFさんの行為は反社会的な行為ですよね?たとえ、人それぞれ価値判断が違っていて、それは幻想に囚われているからだとしても、社会的な利益から見たらその行為はどうなんですか?
(褒められた行為ではないね)
そうですよね、そうなんですよ。
社会にそれがはびこったら、人と人とが信頼しにくくなります。
(褒められた行為ではないが、社会的に見た価値判断も君の意識下の判断ではないかい?)
・・・
そうです。
確かに・・・
(社会的にこうあるべきである・・・それも君の観念だよね)
はい。
(それに、社会的な価値判断も流転変化している)
あぁ、確かに時代によってブレがあります。
私も違う時代に生まれていたら、見方が違うのかもしれません。
(意識に0(零)を掛けたら、ただあるがままに事は起きているということになる)
では、犯罪や略奪も肯定されるのですか?
(そうは言っていない)
では?
(意識に問題があって、その行為に善悪はないと言うことだ)
はぁ、エゴに問題があると言いたいんですね?
(そうだ。が、エゴを持つことは至極まっとうな事なんだよ)
なんとなく、理解できます。
でも、読者の方にはちょっと説明が必要でしょう。
(そうだね。)
まあ、それは別の機会に対話するとして・・・
話をまとめると、人やその人の行為に問題?と言うか善悪・良し悪しといった価値観は付着していなくて、観察者側の価値判断で良し悪しを決めていると言うことなんですよね?
(そうだ。)
そこでおっしゃりたいのは意識に0(零)を掛けなさいという事なんですね?
(うん。感情だけではなく見つめる相手にも0(零)を掛けなさい)
ああ、なんとなく理解できました。
(本当に?)
見透かされていましたね(笑)実はまだ引っかかりがあります。
(意識下の対話だけだと、新たな知識は入らないからね。
だから、知ることは重要であるし本やネットから情報を得ることも重要なんだよ。)
そうですね。
本に書いてあることや、ネットからの情報・・・それと経験がないとチャネルしても先へと進めないと言うことは最近になって良く判りました。
この話題に関し先に進むには、もう少し私の知識が必要なようです。時期がきたと感じたらまた話題にしたいと思います。では、ありがとうございました。
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