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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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哲学として、例えば仏教を学問として学習するのはいいけれど、知識への欲求と他者への優越感を満足したいだけの人が多いような気がして、なんだかなぁって思うんですよ。

上座部が本当の仏教で、大乗仏教は非仏だとかね。

なに言ってるんだか・・・

逆のことを言っている人もいるけれど、上座部仏教は瞑想センターが必ずあって、在家の人達への瞑想指導を行っている。

日本の仏教はどうだろう?

大乗の精神は素晴らしいって言う方もいるけれど、実際はどうなの?って言いたい。

行動している人はいるんだろうか?

地方の片田舎に住んでいると、都会のリトリート(瞑想合宿)とかうらめしい(笑)

まあ、いずれにせよ、知識としての仏教をブッダが伝えたかったのかと言うと、違うような気がする。

そもそも、何故ブッダは教えを体系化しなかったんだろうか?

僕的には仏教は生の体験を通して理解する教えだと思うんだよね。

パーリ語や漢文でお経を唱える宗教ではないと思う。

はっきり言って、英文にして英語の勉強も一緒にできれば一石二鳥じゃないか!なんて思ったりして(笑)

とにかく、哲学にされた真理は剥製の鳥のよう。

生き生きとした体験を伴わない真理では誰も悟らないような気がするし、学問化された仏教が悟りから遠ざかる結果になったような気がする。

心の翼が羽ばたくのが今この世に必要な真理なんじゃないかな。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

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