空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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「 愛する人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらわしの絆が存在しない。」
‐法句経より‐
ブッダが言うところの「愛」は我執による愛を指しています。
目の覚めていない人がいうところの「愛」は、様々な条件が付いていますよね。
肉体的な欲望とか、一方的な受諾等を人は恋人に対して抱き、所謂、条件付きの愛で人は愛する人を束縛しようとします。
その条件の付いた恋人が離れていったら人は嘆き苦しみます。
だから、愛する人=我執による愛する人をつくるなとブッダは教えています。
そして、我執による愛はいつしか憎しみに変わる可能性を含んでいますから、苦しみや争いに通じた想いを否定しているんだと思います。
つまり、ブッダは欲望も執着もない愛(慈悲)を持ちなさいと言っているのでしょう。
欲望も執着もなく、我が身のように人を愛しなさいと。
‐法句経より‐
ブッダが言うところの「愛」は我執による愛を指しています。
目の覚めていない人がいうところの「愛」は、様々な条件が付いていますよね。
肉体的な欲望とか、一方的な受諾等を人は恋人に対して抱き、所謂、条件付きの愛で人は愛する人を束縛しようとします。
その条件の付いた恋人が離れていったら人は嘆き苦しみます。
だから、愛する人=我執による愛する人をつくるなとブッダは教えています。
そして、我執による愛はいつしか憎しみに変わる可能性を含んでいますから、苦しみや争いに通じた想いを否定しているんだと思います。
つまり、ブッダは欲望も執着もない愛(慈悲)を持ちなさいと言っているのでしょう。
欲望も執着もなく、我が身のように人を愛しなさいと。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
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