空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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神秘的な体験と呼ばれるものを経験してまもなく、
魂の存在があるのではないかという漠然とした感覚がやってきます。
私達は自我意識に捉われていて日常的に私という主観で世界を見つめますが、
その感覚が正しいのか、誤ってるのか、疑問に思い始める非日常的な思考に悩まされます。
私は誰なのか?
この意識は本当に私のものなのか?
なぜ、生まれてきたのか?
いったい、どこへと行くのか?
これらの思考は意識が魂の目覚めを求めているのか、
それとも、魂が意識の目覚めを求めているのかどちらともいえませんが、
薄いベールの向こう側に魂の存在を認め、それがどんなものなのか知る必要があると、
思うようになるのです。
私が神秘体験をしてからまもなく、
証明できない事柄であるのですが、確信に近い感覚が生まれました。
私達は魂という存在であって、肉体は物質世界で経験するための仮の生命であり、
その魂は宇宙の中心で繋がっていると。
全ては繋がり一なる魂に帰結し、
私達が神と呼んでいる存在は、唯一の絶対神や白髭を生やした老人の人格神などではなく、
我々が神であり、神が我々であるのだ。
全ての魂はネットワークで繋がり、お互いに影響しあい、共振しながら生命を育み、
大いなる魂は私達を区別も差別もせず、ただただ、
魂のネットワークと呼ばれる光の回線を通して生命を生かしている。
そう、気づきました。
私達の魂は光のネットワークとも呼べる繋がりがあり、ただそれに気がつかないだけなのです。
全ての生命が神聖であり、全てが大いなる魂から生まれてきています。
ネットワークがなければ魂も生命も存在しません。
このことを気づいても気づけなくても、そのままで私達は一つなのです。
カテゴリー[魂への旅]へ
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神秘的な体験と呼ばれるものを経験してまもなく、
魂の存在があるのではないかという漠然とした感覚がやってきます。
私達は自我意識に捉われていて日常的に私という主観で世界を見つめますが、
その感覚が正しいのか、誤ってるのか、疑問に思い始める非日常的な思考に悩まされます。
私は誰なのか?
この意識は本当に私のものなのか?
なぜ、生まれてきたのか?
いったい、どこへと行くのか?
これらの思考は意識が魂の目覚めを求めているのか、
それとも、魂が意識の目覚めを求めているのかどちらともいえませんが、
薄いベールの向こう側に魂の存在を認め、それがどんなものなのか知る必要があると、
思うようになるのです。
私が神秘体験をしてからまもなく、
証明できない事柄であるのですが、確信に近い感覚が生まれました。
私達は魂という存在であって、肉体は物質世界で経験するための仮の生命であり、
その魂は宇宙の中心で繋がっていると。
全ては繋がり一なる魂に帰結し、
私達が神と呼んでいる存在は、唯一の絶対神や白髭を生やした老人の人格神などではなく、
我々が神であり、神が我々であるのだ。
全ての魂はネットワークで繋がり、お互いに影響しあい、共振しながら生命を育み、
大いなる魂は私達を区別も差別もせず、ただただ、
魂のネットワークと呼ばれる光の回線を通して生命を生かしている。
そう、気づきました。
私達の魂は光のネットワークとも呼べる繋がりがあり、ただそれに気がつかないだけなのです。
全ての生命が神聖であり、全てが大いなる魂から生まれてきています。
ネットワークがなければ魂も生命も存在しません。
このことを気づいても気づけなくても、そのままで私達は一つなのです。
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