空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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エゴと呼ばれる自我意識を持つことは善でも悪でもなくて、
ただ、「あるがまま」の状態ではないだけ、それだけなんだよね。
気が付いてみると、ただあるがままに妄想に囚われていたんだなぁって、
想うようになったりするんです。
じゃあ、エゴは捨てなくてもいいものかと言うとチョット違ったりするんだけれど、
エゴを悪として見るのは大きな間違いですね。
例えば、世界最高レベルの医者になりたいと想いを抱く“思井達郎”さんがいたとして、
その達郎さんは他の医者より抜きん出たいという意思をもっています。
つまり、
優越感と沢山の対価を得たいという自己願望=エゴから医者になりたいと夢を持つとします。
達郎さんは不断の努力によって他者が追随できないような技術を持った医者になりました。
結果として達郎さんは大勢の人の命を救うこととなり、
その技術を医師を志す人に伝えていきます。
優越感を持ちたいと想うのはエゴの作用ですが、
そのエゴの作用が社会に貢献している場合もありますよね。
逆もあるんですが・・・
大勢の人が無意識にエゴの作用に恭順して生きていますから、
まあ、それが当たり前なんじゃないかな。
エゴが私達を「透明な意識」から遠ざけていると気が付いても容易に捨てられるものではないんです。
言うなれば、エゴって何でも言うことを聞いてくれて、
私という感覚を慰めてくれる「美少女メイド」みたいなもんかもしれません。
考えてみてくださいよ、
美少女メイドがですよ、アナタ、耳元で「ご主人タマは間違ってないわ(*≧∀≦*)з」なんて言ったら、誰でも抱きしめて離れたくなくなりますもん。
萌ー
って、離れたくないのはオレだけかw
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