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4年程前になりますが、瞑想中(本当は居眠り中w)にあるビジョンを見た。
それは、黒いスーツを着た自分が扉の前に立っていて、鍵を受け取っているビジョンだったんです。
このビジョンを見た当時は何のことやら判らなかったけれど、
最近になってどんなメッセージなのか判ってきたんですよ。
“黒いスーツ”は自尊心とか優越感といった僕の価値観を表していて、
鍵はまさに意識の扉を開ける鍵のようで、
“黒いスーツ”を着た僕が鍵を受け取っているビジョンだったから、
自我(エゴ)と呼ばれる意識が鍵を開ける“キーマン”になっているんだろうね。
つまり、エゴ=自我というフィルターが僕達の目を曇らせていて、フィルターを透明にするにはエゴと呼ばれる自我意識を洗うことなんだと僕は思うんですよ。
巷に溢れるスピリチュアルな教えは光に向かいなさいとか、赦しなさいとか、恐れを手放しなさいとかそんなふうに扉の向こうへ歩みなさいといいますが、それでは大抵の人が躓きます。
何故なら、結果だけ提示して人の目を曇らせている原因について言及していないし、実践の方法にも触れていないからです。
世界中の人の大勢が自分で作り出した妄想の中で生きて、自らが作出した妄想という仮想敵対者と戦い続けているのが現実で、それが当たり前だと信じて疑いません。
僕もほんの少し前まで、自分が思っている価値観や常識を信じて疑うこともしていませんでした。
僕が見たビジョンは自我意識(エゴ)が大半の意識を曇らせる原因になっているんだけれども、エゴが真実の世界を分断していると気が付いてそれを監視することにより、真実の世界への扉へと道案内人にすることができることを示唆しているんだと思うんです。
未だ僕も道に迷っているんですが、暗闇にいるからこそ光が求められるわけで、これから少しずつ皆さんと共に進んで行こうと思うしだいです。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
ただ、「あるがまま」の状態ではないだけ、それだけなんだよね。
気が付いてみると、ただあるがままに妄想に囚われていたんだなぁって、
想うようになったりするんです。
じゃあ、エゴは捨てなくてもいいものかと言うとチョット違ったりするんだけれど、
エゴを悪として見るのは大きな間違いですね。
例えば、世界最高レベルの医者になりたいと想いを抱く“思井達郎”さんがいたとして、
その達郎さんは他の医者より抜きん出たいという意思をもっています。
つまり、
優越感と沢山の対価を得たいという自己願望=エゴから医者になりたいと夢を持つとします。
達郎さんは不断の努力によって他者が追随できないような技術を持った医者になりました。
結果として達郎さんは大勢の人の命を救うこととなり、
その技術を医師を志す人に伝えていきます。
優越感を持ちたいと想うのはエゴの作用ですが、
そのエゴの作用が社会に貢献している場合もありますよね。
逆もあるんですが・・・
大勢の人が無意識にエゴの作用に恭順して生きていますから、
まあ、それが当たり前なんじゃないかな。
エゴが私達を「透明な意識」から遠ざけていると気が付いても容易に捨てられるものではないんです。
言うなれば、エゴって何でも言うことを聞いてくれて、
私という感覚を慰めてくれる「美少女メイド」みたいなもんかもしれません。
考えてみてくださいよ、
美少女メイドがですよ、アナタ、耳元で「ご主人タマは間違ってないわ(*≧∀≦*)з」なんて言ったら、誰でも抱きしめて離れたくなくなりますもん。
萌ー
って、離れたくないのはオレだけかw
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さて、少し頭の整理をしている最中なのであんまり多くを語ろうとは思いませんが、
この際なので、饒舌に胸のうちを語ろうかと思います。
ψ(*`ー´)ψ ゥヶヶ
と、まあ、混乱していることは読者の皆様もお分かりかと・・・
混乱ついでに言いますが、僕は悟っていません。
そんなこと、みんな知ってるかw
さて、カッコイイタイトルとは裏腹にお話を進めますが、
僕もある程度の意識の状態になっているのは確かなのですが、
決して悟っている訳でもヘチマでもなく、「悟り」という状態を暗中模索しながらもがいているしがない中年のオヤジに過ぎなかったりします。
で、
このブログの記事はそんな暗中模索な悟っていないオヤジが書いているんだってことを理解しながら読んでほしいのです。
悟っていないオヤジが悟りについて語ったら、おかしいじゃないか!
なんて仰る方もいるかもしれません。
それじゃぁ、まるで処女なのに痴女になっている年頃の女の子みたいじゃないか!
そんな風にいわれるナイスガイもいるのかもしれません(´▽`*)
でも千里の道も一里からって昔からいうじゃありませんか、
そんな頭の整理がついてない私も、もう少しでチョットだけ殻を破れそうなきがすんですよ。
そんな訳で、
このブログは私の理解の進み具合をできるだけ読者の皆さんにも判りやすくその理解を共有してもらえるように書いて行くつもりです。
ただ、気をつけていただきたいのは、
僕の言った事を鵜呑みにせずに内的な思索をしてもらいたいのですよ。
おかしいなと思ったら気軽に突っ込んで下さい。
僕に都合の悪いことだったら無視しますw
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優位感や劣等感を感じるのはエゴに基づきます。
私と言う主観を通して他者を観る時に、
個人的な自己判断や優劣の価値観でどちらが優位なのか、
私が劣っているのか、それとも優れているのか内的な思索をします。
これらを一般的には「自尊心」と表現しますよね。
その自尊心はやはり身の内に作出された感覚で、
心が生み出す妄想なんです。
内的な感覚も外界に強く影響されていて、
優劣の感覚も学習しないと持てませんよね。
人はそれが当たり前で真実なんだと疑うことなく受け入れていますが、
本当の自尊心はその感覚と大きくかけ離れています。
真実の自尊心とは「ありのままの自分を尊重し受け入れる」ことなんですね。
ありのままの自分を受け入れて尊重すると、
ありのままの世界(他者や社会)を受け入れて尊重することに繋がっていきます。
自分に対してこだわりがなくなれば、
他者に対してのこだわりも薄れていくもんです。
真の意味ではない「自尊心」はエゴが生み出す真実ではない意識ですが、
真の「自尊心」は本当の自分の根源たるコアの意識なのです。
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