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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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「 愛する人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらわしの絆が存在しない。」
‐法句経より‐

ブッダが言うところの「愛」は我執による愛を指しています。

目の覚めていない人がいうところの「愛」は、様々な条件が付いていますよね。

肉体的な欲望とか、一方的な受諾等を人は恋人に対して抱き、所謂、条件付きの愛で人は愛する人を束縛しようとします。

その条件の付いた恋人が離れていったら人は嘆き苦しみます。

だから、愛する人=我執による愛する人をつくるなとブッダは教えています。

そして、我執による愛はいつしか憎しみに変わる可能性を含んでいますから、苦しみや争いに通じた想いを否定しているんだと思います。

つまり、ブッダは欲望も執着もない愛(慈悲)を持ちなさいと言っているのでしょう。

欲望も執着もなく、我が身のように人を愛しなさいと。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

 
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 言語は本当にあるか?

こんな突拍子もない思いがボキュの脳裏をふと横切りました。

誰も言葉が本当にあるのかなんて疑わないんだよね。

そのことを人に伝えるにも言葉に頼るしかないのに、言葉は本当にあるのかなんて・・・

気でも狂ったの?アンタ!

なんて言われるのかもw

まあ、確かに自分で自分を疑ってる自分がいたりするわけで・・・

ところで、言語は人の発明物であり、その発明物を学習して僕達は言葉を話せるようになっていきますよね、生まれたままに言葉を喋る人はいないですから。

元々は自然の状態や動きを感覚機能を通してシンボル化したものから発展して文字や言語が出来上がったのでしょう。

であるとすると、言葉は無から作られた概念であるといえますよね。

僕達は色々の物を言葉で定義しています。

コップやお皿、御箸、茶碗等々数えたら限がありません。

でも、例えばコップには「コップ」という言葉が付着しているわけではなくて、僕達が過去に認識し学習した結果、コップをコップと呼んでいるわけです。

コップの形状を視覚と触覚で認識し、「コップ」という音の響きを聴覚で認識し、水を飲むものと定義し、その行為を蓄積させて知識が出来上がります。

そうするとですよ、僕達はコップはコップと呼び、水を飲む道具で当たり前なんだという感覚が出来上がって、いつのまにかそれが常識なんだと思い込むようになるんですよね。

本当は「コップ」の言葉とその対象である「コップ」の物質は同一ではありません。

まあ、要するに定義された後にコップと認識し得るのであって、定義されていなければコップと認識できないだけなんですけどね。

言葉は対象をシンボル化する働きを持つもので、物や動きの対象を抽象化しているのにすぎません。

言葉の本質は空気を振るわせる音にすぎず、無から作られたシンボルだといえますよね。

蛇足なんですが、無を体感した光の存在(目覚めた人)達は制約のある言葉に頼らないような気がします。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

 
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 心(意識)は捉え難いものですよね、その場や人に応じてコロコロと心は形を変えていきます。

また、思考は間欠泉のように吹き出していて、一瞬たりとも活動することを止めず、流れを変えていきます。

心は川の流れのように現象として捉えられるもので、心の状態は確定していませんし、物質のように実在はしていません。

心を目で確認できるかと言えばできませんし、僕たちは只、漠然と心があると思い込んでいます。

しかし、心は物質ではなくて現象を抽象化する働きしかありません。

例えば川の流れのように水が動くことにより生じるもので、水の動きが無くなれば「流れ」と言う現象はなくなりますよね。

川の譬えと同じように心も思考の源泉の活動を止めれば、心は停止し「無」が露出してきます。

心の活動の原動力は「我執」を元にした欲望が主な原因で、打ち負かしたいとか、欲しいとか、苦しみたくないとかの感情は「私」が有るという思い込みによって作られています。

また、僕たちは無自覚に(心の性質を知らずに)心の赴くままに新しいもの、心地よいものを探し求めています。

心は刺激を求めてあれやこれやと思いつくままに欲求を満たそうとしますよね。

この心を制御するには瞑想や座禅が有効なのですが、仏教の「四念処」の理解と共に毎日5分でもいいから瞑想に挑戦してみてください。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

 
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 人の寿命の長さは定まっていませんが、肉体の生命は有限ですよね。

深いところでは僕たちは永遠の存在であったりするのですが、肉体に関して言わせていただけば、やっぱり、脆く儚い命であるといえます。

人の寿命をロウソクに譬えてみると、環境や意識等の要因によって一本の蝋燭の寿命は長かったり短かったりしますが、一生を考えてみると、一本の蝋燭が燃え尽きるのには変わりがなくて、細く小さく燃やしているのか大きく強く燃やしているのかの差により、年数の長短の差が出てくるんだと思います。

しかしですね、皆さん。

細く小さく燃やしても大きく強く燃やしてもロウソクに譬えた人の一生に変わりはないと思いませんか?

ただ、年を長く生きたか短かったかの差で、まぁ、時間も概念で本当はなかったりしますからね。

ロウソク一本、これが僕たちの人生だとしたら大きく強く燃やして周りも明るく照らしたいと思えてきません?

あれやこれや理由を付けて人は躊躇しがちですが、一本のロウソクを燃やし尽くすことに人生は変わりありませんから、死んで後悔するより生きて失敗した方がいいかなぁなんて、最近僕は思っていたりします。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

 
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