空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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総体が無ければ部分は無い。
当たり前のことなのに私達はやっぱり、個が存在していると思い込んでしまうんですよね。
人と呼んでいる生命の総体の中で個々は生まれては死んでいきます。
総体の中でしか生まれ得ない「私」と言う個の命は部分でもあり総体でもあるわけで・・・
そうであるのなら、
利他とは、総体に対して与えることしか私達は恩恵が受けれらないことを表現しているのかもしれないですよね。
いつかは必ず死に至る命。
だから私達は、今ある命を大切にしなければならないのですが、
その「私」は本当は総体の命があってこそ在る命なんじゃないかと思うんです。
だからこそ、他人に対する思いやりとやさしさが私と言う個を生かすことに繋がっていくはずなんです。
当たり前のことなのに私達はやっぱり、個が存在していると思い込んでしまうんですよね。
人と呼んでいる生命の総体の中で個々は生まれては死んでいきます。
総体の中でしか生まれ得ない「私」と言う個の命は部分でもあり総体でもあるわけで・・・
そうであるのなら、
利他とは、総体に対して与えることしか私達は恩恵が受けれらないことを表現しているのかもしれないですよね。
いつかは必ず死に至る命。
だから私達は、今ある命を大切にしなければならないのですが、
その「私」は本当は総体の命があってこそ在る命なんじゃないかと思うんです。
だからこそ、他人に対する思いやりとやさしさが私と言う個を生かすことに繋がっていくはずなんです。
様々な時代や地域に覚者と呼ばれる方々がいます。
その手法や教えを学ぶことができる私達は本当に幸せなのかもしれませんが、
しかし、注意も必要です。
お釈迦様に例をとってみると、現代から約2500年前のインドに生きていられました。
仏教を読み解くにしても当時の時代背景とインド人の気質も理解しなければなりません。
実際、当時の仏教の戒律や世界観が現代の日本にそのまま当てはめられるかと言うとそうではないはずです。
福祉制度も社会整備もない古代インドでお釈迦様は人々が助け合うように厳しい戒律を設けたのかもしれませんし、
例えば、不飲酒戒は瞑想の邪魔になるから・・・が主な目的なのかもしれませんが、
お酒の主原料は穀物ですから、もしかしたら、貧しい人々にお酒にするくらいなら施しなさいと言う意味なのかもしれません。
だから私達もこれこれは決まっているから・・・といった杓子定規なものの見方をするのではなく、
真理に基づいて現代に合うように理解しなければ本質からずれていくのかもしれません。
あなたに思いやりとやさしさが訪れますように。
byガム
↓ポチッとな。
その手法や教えを学ぶことができる私達は本当に幸せなのかもしれませんが、
しかし、注意も必要です。
お釈迦様に例をとってみると、現代から約2500年前のインドに生きていられました。
仏教を読み解くにしても当時の時代背景とインド人の気質も理解しなければなりません。
実際、当時の仏教の戒律や世界観が現代の日本にそのまま当てはめられるかと言うとそうではないはずです。
福祉制度も社会整備もない古代インドでお釈迦様は人々が助け合うように厳しい戒律を設けたのかもしれませんし、
例えば、不飲酒戒は瞑想の邪魔になるから・・・が主な目的なのかもしれませんが、
お酒の主原料は穀物ですから、もしかしたら、貧しい人々にお酒にするくらいなら施しなさいと言う意味なのかもしれません。
だから私達もこれこれは決まっているから・・・といった杓子定規なものの見方をするのではなく、
真理に基づいて現代に合うように理解しなければ本質からずれていくのかもしれません。
あなたに思いやりとやさしさが訪れますように。
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