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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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 ※ガイドとのやり取りを対話形式にしてあります。

以前、自分の不正や失敗を「私のせい」にしていた人の事を考えていた時に、
ガイドからインスピレーションを頂きました。

(他人はいるのかい?)

ぐぅ・・・
そうでした、「私」というパーソナリティーは私の意識の妄想なんですよねぇ・・・

(そうだね。それと、不正は君の意識下にあるものだね)

ええ、何度もツッコミ入れさせてスイマセン(笑)
まあ、何が不正なのかは人の経験や観念によって巾があるし、私の視線から見た不正がそのまま社会の不正の観念と同じではないでしょう。それに、不正をした人を悪と決めているのも私の意識であり、観念です。

(法は人の手によって恣意的に作られたもので、真理とは違う)

はい。

(ただ、できるだけルールを守るべきだね)

ルールを破ることにも良し悪しがないのなら、守る必要があるんでしょうか?

(長い歴史の中で作り上げられたのがルールや法なんだ。何故それが作り上げられたかと言うと、お互いに争いを少なくしようと言う先人達の想いだろうね。だれでも、子供達により安定した環境を作りたいと願うものではないかい?)

そうですね。確かにルールがなければ世の中争いだらけになりますもん。

(良い機会だから、道についての喩え話を書いてみたらどうだい?)

そうですね・・・
良い機会なのかもしれません。
以前にルールについて考察したのですが、ルールを守る守らないといった行為に良し悪しを決めているのは意識だと気がつきました。しかし、更に考察をするとルールや道徳がこの世に必要なんだなぁ・・・と、想うように至ったのです。

例えば、ルールのない道があったとします。その道を使って目的地まで着くのには大変な危険が伴いますよね。速度制限も一旦停止もなく、右側通行なのか左側通行なのかも決まっていませんし、ゴミを捨ててはいけないというルールもないから、
危険に満ちた命がけの旅程になりますよね。そこで、その道に子供や親兄弟、友人や恋人が通らなければならないとき、私はどうするだろうか?そう考えると、道徳やルールはあくまで人の手で作り上げたもので真理と呼ばれる視線から見たら、透明な世界に観念的で自然ではない状態ではあるのですが、私達を生かし、目的地まで辿り着くのに必要な事だと気がつきました。
杓子定規にルールを守らなくてはならない。とは、私は思いませんが、必要最低限のルールを守ることが私達を生かすことに繋がっていると思います。

(真理に至る道が危険に満ちていたら、行き着ける人が減るからね)

そうですね。
道徳やルールは観念ではあるんですが、
この世に重要な「お互いを生かしあう」ということに繋がっている気がします。

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