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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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私。

私という感覚は他者がいないと認識できない。

この世が全部真っ白けっけだったら、何がなんだかわかんないw

私以外の生命がないと、私という認識は持てませんから、

事実上は他者が私なのかもしれませんよね。

現実的にも本質的にも。

僕もそうだったんですが、真理の探究の際に他者へ自分を含んでいなかったりしますが、

実質上、他者も私も境目はありません。

私と他者はイコール。

上から目線で衆生と言うのなら、真理から遠ざかります。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

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両親に対してなにかしらネガティブな思いを抱いている人は多いのかもしれない。

僕もその中の一人。

でも、真理を探求してきて色々と気が付いたことがあるんですよ、

まず、両親も現実と呼ばれる幻想の中で苦しみながら生きていたと言うこと。

義務や責任、社会にある常識とか、

愛憎やらの創作された現実に囚われて泥の中でもがいていたのだから、

自分も両親も同じなんですよね。

そして、その創作された現実は宇宙の合意によって作られているわけで・・・

そうなんですよ、誰を責めていいのか判らないですよ。

そして、もっと深く見つめると責めるべき相手も責めている自分もいないんですよね。

「私」という存在も幻想で「父」「母」という存在も幻想。

夢の中で幻想を作り上げて、何かをしたとかされたというのも幻想だったりすんですよね。

最近思うんです。

ああ、仕方のない事なんだなぁーって。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

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目が覚めたら、特別な人になるって思っていた。

これって、大いなる勘違いw

特別も別段も意識が作っている幻想で、それを見破るのが目覚めなんだろうと思うのですよ。

優劣は単なる感覚であって、中間も端もない数字では表せない概念なんですよね。

悟ったら市井の人々を見下すなんて在り得ない。

だって、幻想を真実だと勘違いしている状態が当たり前だもん。

悟りを探求して何か特別な存在になろうと思っていると真理は遠ざかる。

特別なんてなくって、今のままで認められているって100%の了解が目覚めた意識なんだ。

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

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あのですねぇ、

市井の人達が俗に言っている善悪はありません。

でも、善悪はあります。

???

なにそれ?って思うでしょ?

でもね、気が付いてみると僕と同じような言い方をするんです。

多分ね。

花を花として咲かせる。

コレが善でそれを阻害することは悪です。

でも、罪は負っていません。

は?

更に???

ですよね。

でもね、本当にそうなんですよ、実は。

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