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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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得るものも失うものも無い。

有るのは変化のみ。

失ったと思い込んでいるのはただ現象の変化に「失う」をあてはめているだけなんだ。

この世はただ現象が流れていくのみ。
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個人の命が個だけで存在し得ないのに、私たちは当たり前に自分の命と考えてしまう。

命の尊さを個に限定して、他人の死を望むのを当たり前のように考えてもいる。

生命という海がなければ私たちは存在していない。

魂の海に境界はない。
コップはコップとして存在していません。

コップは水や牛乳といった液体を飲む容器ですが、

何故私たちはコップと呼ばれる物体をコップと呼び、水を飲むものと定義しているのでしょうか?

コップの語源なのですがコップは江戸時代にオランダからガラス製品として輸入され、

コップという言葉はオランダ語なのだそうです。

私たちがプラスチックやガラス製品の透明な容器をコップとして呼んでいるのは江戸時代にガラス製品とともに輸入されたコップとオランダ語が伝えられてきているからですよね。

そして、私も貴方も幼い頃にコップという言葉とともにガラスの製品を視覚や触覚で覚え、水を飲むものと定義しています。

そうして今、貴方がコップはコップではない!と言われたら「へっ?」って思うでしょ?

長い間、コップはコップで水を飲むものだと定義してきて、自分以外の人もコップと呼んでいるのに、コップはコップではないと言われても、なんのことやらわかりませんよね。

しかし、幼子はコップという言葉と共に用途を教えてもらわなければコップと言う認識は出来上がらないはずです。


心の中身=思考=私

僕たちは思考と自己の同一化の幻想から離れられずにいる。

でも、心(意識)を袋と例えて、袋の中身(思考)は様々な形に変化していく。

チョコレートが入っていれば、チョコレートと呼び、キャンディが入っていればキャンディと呼ぶ。

変化し続ける中身は本質ではない。

変化し続ける中身(思考)は私そのものではないから、思考そのものが私ではなくて、思考を意識している感覚が小さな自我を超えた大いなる存在なのかも。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

byガム
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