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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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 私達は目や耳等の感覚器官を通して、出来事を知覚します。

清々しい朝日、星が散りばめられた夜空、優しく光る月、

朝を知らせる小鳥のさえずり。

それらを感じて認識するとき、私達は私自身の体を感じ、認識しています。

見られる客体が存在しなければ、見ている私は感じられません。

そして、あなたの外に認識できる生物や現象には、好みや、比較、好き嫌いもなく、

認識へ心の働きかけをして選別や情動をしているのに過ぎません。

例えば、貴方が今いる部屋に窓があるでしょうか?

そういわれて、貴方は窓を探します。

しかし、貴方は何故「窓」といわれて、部屋と外界を結ぶ「窓」を見たのでしょうか?

過去の記憶と経験と学習が貴方の心に窓を想像させ、

そして、経験を通した記憶から窓の位置を確認し、目で確かめたはずです。

では、窓の形や大きさガラスの質、これらに選別はあるのでしょうか?

そこに優劣はあるのでしょうか?

窓という言葉は窓を形容する名詞であって、

そこに感受できる心地よさとか不快さといった感覚は付与されてはいないはずです。

私達は感情にすぐに乗せられて真実を容易く見誤り、

そして私的になり、全体より分断されます。

世界はただあるではなく、私という意識下において、

記憶や経験から蓄積されたデータ-から、

見られるものへ変化していくのです。

ここから、人との見解の相違から矛盾や分別が生じてしまいますが、

それを真実ではないと「気づく」ことが重要なのです。
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