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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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最近、脳みそがドロドロになりかけているガムです。

柔らかくする前にすでに溶けているような気がするんでつ・・・

 

さて、そんなどーでもいいことはさておき、僕達って得た知識にたいして「思いこみ」していて、これが正しいんだ!って確たる根拠もないのに間違った知識を自慢げに話しちゃったりします。

ワタクシごとですが、僕もそんなことが沢山ありましたよ、ええ。

一例をあげると、仏教に関してなんですが、僕は若い頃ブッダがサンスクリット語を話していたと思い込んでいたんですね、けれど、よーく調べるとパーリ語が当時のブッダが喋っていた言語に近いそうなんです。(※ブッダもサンスクリット語は学んだみたいです。)

そして、そのパーリ語もそのものズバリではなくって、古代のインド言語の方言である古代マガタ語を話していたと推定されるそうなんですね。

これね、調べてみて思ったんですよ、おぼろげな知識なんてあてにならないし、それをまことしやかに話すのは自制しなくっちゃなぁ・・・って。

この一例に関していえば、結果としては「推定」されるのみでコレダ!という確定はできませんよね。

 

そうそう、蛇足なんですが、上座部仏教はパーリ語経典を聖典としているんですけど、パーリ語って固有の文字を持たない?言語なんだそうです。南伝仏教と呼ばれる上座部仏教はそれぞれの母国語で翻訳して伝えているんですね。

 

さて、人は固定観念や知識を正しいと思い込んでしまっていて、一度得た知識の検証をなかなかしようとはしませんし、名の知れた人のいっていることを鵜呑みにしてしまってもいます。

この状態だと新たな発見、至っては真理の発見への阻害となる可能性もあると思いませんか?

やわらか頭で、思い込みを外してみれば新しい発見も生まれますし、なにより自由な発想がまた新鮮な知識の発見に至らしめるのかもしれませんよね。

それと、宗教に関してですが、例をあげると「仏教」と「キリスト教」に関して、まあ、他の古くからある既存宗教に関してもそれが言えるんですけど、仏教もキリスト教も長い年月を経て各国に伝わりその伝播の中での異言語への翻訳(これは、かなりの頻度で行われています。)、封建国家での作為的な利用、教徒による別解釈、加筆修正等々・・・

この他にも、時代背景やらも加味してその時代に即した新解釈や新宗派も生まれたんでしょうね。

ブッダ=仏教、イエス=キリスト教ではないような気がするんですよ、ブッダもイエスも瞑想をとおして真理に到達していて、普遍的な真理を飾りのない素朴な言葉で語ったんだと思うんです。

まあ、これは僕の憶測の域を出ないんですけど・・・

僕は決して宗教を否定している訳ではないんです。

宗教、宗派の中でドグマや固定観念に縛られず“やわらか頭”でブッダやイエスと呼ばれているマスター達がどう考えていたのかを感じてみて欲しいんです。

僕もご他聞にもれず、宗教関係や哲学の本には量は多くないですが触れていはいます。

真理への到達に必要な情報って聖典の中に沢山あることも確かなんですが、違和感のある規則や今の時代に合わない教えもあって、聖典に書いてあるから“絶対に正しいんだ”なんてことはありません。

皆さんも是非、思い込みを外して“やわらか頭”で「覚醒」へと、その先にある「悟り」へと思いを巡らせてみてください。

 

では、今日はこのへんで。

 

生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム

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