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 原罪とは、旧約聖書の中の創世記にアダムとイブの物語に由来して語り継がれています。

有名なくだりはイブが蛇にそそのかされて、

神から食べることを禁じられていた「善悪の知識の実」を食べてしまい、

裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの木の葉を身につけ、

蛇は神の怒りを買って、地を這うように呪われたのでしたよね。

カトリックでは、

「人間は神の忠告を受け入れず、自らの自由を不正に行使して神の命令に従わなかった」

これを、原罪と位置付けているようですが、

どうでしょうか?

私は、「善悪の知識の実」を食べた。

と言う所にこの原罪という概念の誤りがあると思えます。

善悪の知識・・・と言うのは一体どのような知識なのでしょうか?

善悪の知識とは、あるがままの世界を善と悪に分ける二元的な概念で、

分別する意識なのではないのでしょうか?

善悪の知識は成長し、学習しなければ身につけられないものなのです。

善と悪。

二分する概念は原始から宇宙に付着していたとは私は思えません。

であるのなら、人類が社会を発展させていく中で発明した概念であると思えるのです。

何が善で何が悪なのか、人は生まれたままに分別することはできず、

成長に従い善悪の観念を成長していきます。

生まれたままに人は罪を背負っているのなら、

純粋無垢な赤ちゃんも罪を負っていることになります。

人は原罪を負っているのではなくて、

人は盲目で起こした行為をただ、

解消し、大勢の自分を手助けするために生まれ変わっているのです。

原罪などないのです。

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