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生滅変化がこの世の真理であり法則なのです。
悟りとは、
この生滅変化、
流れゆくものがこの世の理であるということを認識し、
それを意識に固定化することと定義しても過言ではないのですね。
ただ、人は自分と言う立場から視線を向けがちで、
人生は、生命は、この世は、意識は、
流れゆくものだと認識しながら人はそれを認めようとはしません。
生命が愛おしいのは誰でも同じなんです。
その愛おしさから人は人から盗み、痛めつけ、至っては自らの生命さえも絶とうとします。
これはですね、
追い求めて追求するのがあたりまえだと思って、
追い求め続けて、
元気な時は疲れを知りませんが、迷いとか病になって初めてそれに気づくからなのです。
人は生きているからこそ、迷い、病になります。
それを認めないから空しくなって、この世を憐れんで人は自らの命も諦めてしまうんです。
なぜ、心は空しくなるのか考えてみてください。
それは、
”あらゆる全ての現象、存在は移ろいゆく”
その当たりまえの事を認めず目を背け、背を向けているからです。
現在という認識は過去と未来があって、
認識し得ますよね。
今が無ければ過去も無く、未来もありません。
今、ここにある命をありのままに認め、
命は限りあるのもなのですが、
その限りのある時間の中で生命という花を咲かせましょう。
私達人の命も儚い花の命と変わらないことを知って、
私はこの世にあって死ぬ定めにあるものと覚悟するのです。
死ぬ定めにあるものと覚っているからこそ、
自分の命も人の命も尊いと認識し得るからです。
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生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
あらゆる現象は流れて、移ろいゆきます。
物質界においてそのまま留まって(常駐)いるものは何もありません。
これは、生命も精神も現象も永遠不変、不滅のものはないということです。
逆に、
その「あらゆる万象は流れていくもの」という法則だけは永遠なのですね。
ですから、
生命である人は死から逃れられません。
こんなふうに表現するとなんだか物悲しくなりますね。
でも、
死と言う現象があるからこそ、人は生まれてくるのです。
私達の魂は生と死を何度も経験しにこの世に生まれ、
そこに業(カルマ)と原因と結果の循環的な法則が介在しています。
限られた命で為しえなかった約束を新たな生で果たす為なのですが、
業(カルマ)と原因と結果の法則は後に詳しく述べます。
理解してもらいたいのは今、ここにある生命です。
今、ここにある生命は蜃気楼のようなもので、
今日あるものだと人は思いがちですが、
明日あるか保障はありません。
だから、生命保険は成立するのですが・・・
生命といった形で見えるものも、人の精神も意識も移ろいゆきます。
今日、悪人だった私も明日善人になる可能性もあり、逆もあるわけです。
この世界は刻々と変化し、
瞬間瞬間の連続であり、
1秒たりとも過去には戻れないのに、
私達人はこのあたりまえの事実にさえ目を背けてしまいます。
人は愛らしい赤ちゃんとして生まれて、
成長し、子供を生み育て、年老いていきます。
私達の体に必要な作物も種を撒き、
芽を出してやがて実を結び、その実の種から次世代に繋いでいきます。
この生命の営みといえる変容(無常)という流れの中でしか生命は存在し得ません。
生の対極である死があればこそ、生は認識し得ず、死がないのなら生も無いからです。
もし、愛おしい貴方の子供がいなくなって欲しくないと願うのなら、
その愛おしい生命を生むことを否定することになります。
もし、愛おしい貴方の子供が永遠であることを願うのなら、
その愛おしい生命を生み育てることをその子に伝えてください。
その生命の育みこそが無常という真理に生命を吹き込み、
今、ここにある生命を慈しみの目で見つめることに繋がるからです。
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貴方の外界からやってくると思いますか?
では、
他人の行為によって、貴方の意識に怒りが発生するのでしょうか?
いいえ、それは違います。
貴方の心が怒りの感情を創作しているのです。
物と事、全てのあらゆる事象は”あるがまま”起こっています。
その、”あるがまま”の事象に心が意味を与えて感情を創作しているのです。
怒りを捨て去るには、自分の信じるものを破壊し、再構築する必要があります。
固定観念や信じていた事象から心を解き放ち、それを超えていかなければなりません。
言葉と形態にこだわらず、塵の積もった意識を新たな風の中に晒すべきなのです。
対極する意識に寄らず、
この世の現象をニュートラルな視線で観ることが必要です。
善と悪を夫々対極から観ると必ず怒りが生じます。
有と無。
例えば、無一文の身から富豪を観ると羨みという意識が生じ、
富豪の身から無一文を観ると蔑みという意識が生じます。
無能と有能。
美貌と醜い。
幸福と不幸。
強靭と貧弱。
裕福と貧困。
明るいと暗い。
どうでしょう、対極する意識を持つと怒りや蔑みといった意識が発生し、
人は蔑みといった意識を与えられると、反射的に怒りの意識を発生させます。
心が創作した意識から色々な異なる感情を発生させますが、
私の心が一つなのに多種多様な感情を創作します。
それを防ぐには対極に寄らず、
ニュートラルな心を保つ必要があります。
対極に宇宙創世記から付されていた意味はありません。
対極は歴史の流れの中で培われ、人が発明したものともいえます。
目を閉じて片側の対極に身を置いて両極から交互に観想してみてください。
※ニュートラル(中立に保つ)瞑想をほんの僅かな時間でも行ってみてください。
見えてくるものがあります。
どうでしょう?
どちらの立場からも不要な感情が沸き起こります。
その両方を共に捨て去れば、
新しい世界が私達の眼前に広がるはずなのです。
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無の世界に在し天国を謳歌していたのです。
しかし、ある日。
一体であったアダムとエヴァである無(神)は思ったのです。
無とはなにかと。
そして疑問に思いはじめました。
私は本当に無なのかと。
そして無とはなにかと。
そこで、無は自分を有と無に二分することを思いついたのです。
無である私は有という対極を創造し、
無と有の実存世界を作り、
私と言う無を体感したいと。
そこで無はアダム=無と、エヴァ=有が混在する世界を作ることを思いつきました。
無は原始から無でした。
だからこそ、
有を創造して無である自分を対極から見て無である自分を認識することを望んだのです。
アダムとエヴァは決して楽園から追放された訳ではありません。
一体(ワンネス)であった自分の体を分けて世界を創造し、
無と有と混在する世界を作ったのです。
対局する世界を創造することによって、
無という自分を体験するために。
私達人間はアダムとエヴァの末裔なのです。
元々ワンネスの状態から生まれてきた存在です。
有(物質)の世界の窓から無(魂)を垣間見る為に生まれてきた存在なのです。
私達の体には有(悪魔)と無(天使)が混在するように設計されています。
それは、有と無の無い、無(神)が私達が一体(ワンネス)であることを再確認する為なのです。
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