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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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 仏教研究 #3

※浅学ですので、激しい突っ込みはご遠慮ください(笑)
でも、間違いがあれば書き込みしていただくと助かります。

#3-1菩提樹の下で(悟りを拓く)
ブッダは苦行を共にしていた5人の修行者と別れて、
一人、ウルヴェ-ラ-の地(後にブッダガヤ-)で修行を続けました。
そして菩提樹の下で悟りを得たのですが、
上座部仏教では五月の満月の日であるとし、
大乗仏教では十二月八日と伝えられています。
私達日本人に馴染みの深いのは、
ブッダが十二因縁の理法を観じて悟ったとの伝承なのですが、
これは後世の仏教教団によって体系化されたものである可能性が高いそうです。
そこで、経典にブッダが後に語っているとした他の説を要約して記載します。

心は統一され、欲望から離れ、微細な思慮があったが、初弾を成就した。

次に、微細な思慮も止滅され内心が安静となり第二弾を成就した。

次に、平静であり、気づきがあり、喜びにとどまり第三弾を成就した。

次に、楽と苦を共に捨て、喜びと憂いを共に捨て、不苦不楽であるので、

平静と気づきによって清められた第四弾を成就した。

このように心が統一され、清浄で、汚れもなく、柔軟で、巧みな思慮あり、確立し不動となったときに、

過去の生を思い起こすことに心を向けた。

我は、過去の生の全てを思い起こし、

一つの生涯から百千の生涯を、幾多の宇宙成立期と破壊期とを思い起こした。

そして、我は赫々の名と姓とを思い起こし、生と死とを思い起こし、また転生を思い起こした。

このように我(ブッダ)は幾多の過去の生涯を思い起こし、ここに無明が滅び去った。

そして、光明が生じた。

我は、諸々の生存者が死にまた生まれるのを見た。

卑賤なるものと高貴なもの、諸々の生存者がその業に従っているのを見た。

これが、第二の明知である。

ここに無明が滅び去り、そして、光明が生じた。

我は、諸々の汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。

ここに一切は苦であることを如実に知った。

これこれの事柄に心を向けて、心は欲の汚れ、生存の汚れ、無明の汚れから解脱した。

そして、解脱した(涅槃に到達した)という智が起こった。

「生存の迷いは尽き果てた。心の清浄が完成した。なすべきことはなされ、

もはや生存の状態に達することはないと」

ここに無明が滅び明知が起こり闇黒は消滅し明知が生じた。


ブッダは出家してから6年間(一説によると7年間)かけて遂に悟りを得て、
正等覚者となったのです。

#3-2道を説く
原始仏教聖典では、ブッダが悟りを得た後に道を説くことに躊躇し、
三昧(サマ-ディ)のまま死に赴こうとしたところ、
梵天よりの勧請により道を説くことを決心したと伝えられています。
しかし、これも後世僧団の付与である可能性が高いようです。
ブッダは欲や誤った見解に汚れている人々の心を目覚めさせるのは容易いことではなく、
もし、道を説こうとしても徒労に終わる可能性を後の回顧で示唆しています。
いずれにせよ、ブッダは道を説くことを決めたようです。
仏教が後世、伝播したのはブッダが道を説くことを決めたからです。
まずは苦行時代の仲間を教化し、その後多くの人々を悟りへと導きました。
そして、道を説いてから四十五年後、齢八十歳でブッダは予言とおり涅槃に入り、
梵天へと帰っていきました。

※よく、ブッダは茸にあたって死んだとか、豚を食べたために死んだとかおっしゃる方がいます。しかし、それは大きな間違いです。ブッダは自分の死期が近いのを予見して最後の教えを説くための旅の経過の中で茸の料理にあたったと伝えられているようです。そのこと自体がブッダを死に至らしめた訳ではありません。

byガム
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心のチャクラ(エネルギーセンター)はエネルギーを絶えず発しています。

怒りや憎しみといったエネルギーは背骨にあるエネルギーセンターに、

ネガティブなエネルギーとして溜まり、

酷くなるとシコリのような感覚が感じられることもありますね。

怒りや憎しみは意識によって作り出され、結果としてエネルギーの流れを阻害します。

心のチャクラは私達の意識や思考によって状態が変化し、

その意識に応じたエネルギーが発せられます。

ここで、ブッダのお話をしますね。

ブッダが托鉢しながら遊行していました。

夕方近くになり、近くの家に一晩寝床を借りれないかと聞くと、

その家の主人は家の傍にある小屋に泊まることを快諾しました。

ブッダはその小屋で就寝したのですが、

その家の主人はあろうことか、悪戯で毒蛇をその小屋に放したのです。

次の朝、その家の主人がその小屋の扉を開けてみると、

ブッダの傍らの托鉢用の鉢に毒蛇がおとなしく、とぐろを巻いて寝ていたそうです。

まあ、喩えの話なのでしょうか。

ブッダはあらゆる生命の本質を見抜き、私達の命も蛇の命も同等だと知っていたのだと思います。

蛇はブッダの心の慈愛のエネルギーを感じ取って、おとなしく寝ていたのでしょう。

心のチャクラはやはり意識と直結していて、

意識の状態によるエネルギーを発しているようです。

心の中に分別や区別、差別する意識があればそれに応じた相手と反発しあいます。

実相の世界は”ありのまま”起きています。

そのありのままの世界に意味を投げつけ、一体である私達を分離して思考すれば、

必ず、心はそのエネルギーに応じた波動を発し、

発せられた相手方も同じエネルギーを発します。

それを防ぐにはやはり、意識が真実ではない思考をしていることに気づくしかありません。

意識が無色透明になり、私達が一体であると認識さえすれば、

どんな相手でも分かち合えるのだと思いますよ。

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生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

byガム
仏教研究 #2

※浅学ですので、激しい突っ込みはご遠慮ください(笑)
でも、間違いがあれば書き込みしていただくと助かります。

#2-1道を求める アーラーラ仙人
ブッダは教えを求めてアーラーラ・カーラーマ仙人を尋ねました。
アーラーラ・カーラーマ仙人は無所有処という禅定を提唱し教化していましたが、
ブッダはその元で速やかに無所有処の禅定を体得したようです。
無所有処というのは、深い禅定により、見る者も見られるものも何もなく、
心のはたらきが滅し感情も思考も停止することのようですが、
客体と禅定を行う者の合一ではないかと思えます。
ただ、ブッダは無所有処では禅定中は心の働きが滅し感情も思考も停止するが、
禅定のあとはまた元に戻り完全な安らぎには至れないと知り、
アーラーラ・カーラーマ仙人の元から離れます。

#2-2道を求める ウッダカ仙人
アーラーラ・カーラーマ仙人の元を去ったブッダは次にウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元に向かいます。
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人は悲想非非想処(ひそうひひそうじょ)という禅定を提唱し教化していましたが、
またもやブッダはその元で速やかに禅定を体得しました。
悲想非非想処とは、識別するのでもなく、識別しないのでもない、という境地という意味です。
先の無所有処では、
識別作用は消えたというかたちでまだかすかに残存している識別作用そのものが、
ここでは完全に消える、つまり、識別する、しないがまったく意味をなさないほどにまで心のはたらきが停止する、ということなのでしょうか。
これも、感情と思考の停止を目指す瞑想で得られる境地のようです。
しかし、ブッダは「ただ心のはたらきが停止するに過ぎない」と知って、
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元から立ち去ります。

#2-3道を求める 苦行
ウッダカ・ラ-マプッタ仙人の元から去ったブッダは、
山林で他の5人の修行者と共に苦行による修行生活に入ります。
一説には他の5人の修行者は、
スッド-ダナ王より王子であるブッダを擁護するために送り込まれたという説がありますが、
他の説ではブッダが短時間で究極の禅定を完成させたことを5人の修行者が知って、
それまでの師を捨ててブッダに従っていたという説もあります。
いずれにせよ、5人の仲間と共に修行していたのは史実とみてもいいかと思えます。
晩年、ブッダは弟子のサ-リプッタにその苦行を回想して語っていますが、
すざまじい苦行をおこない、ありとあらゆる苦行を試行し、
激しい断食の末に前に進もうとすれば、
頭が地面から離れず、真っ直ぐ歩けないような状態を繰り返したと語っています。
しかし、その命を懸けた苦行でさえ、求めるニッバ-ナ(涅槃)へ導きませんでした。
そして、伝説によるとブッダは苦行をいさぎよく捨てたのです。
仲間の修行者はそれを堕落したと見て、袂を分かちます。

#1へ #3へ

byガム

こんばんわ。

さて、あらゆる情報が居ながらにしてネットで取得できる現代は、

ありとあらゆる情報が錯綜しています。

精神世界もそうですよね。

いろいろなスタンスで思うままに語り合っています。

かつての私もそうでしたが・・・

あっと、今でも片鱗はありますね(笑)

でも、

できるだけ縄蛇にならないように気遣いしなくてはいけないと思うようになったんです。

私もこの世界に興味を持ち始めて、

まあ、

持たざるを得ない状況だったのですが、

色々な本やネットで検索して情報を収集しました。

精神世界以外にも仏教、禅の世界観、タオの世界観等に興味を持って、

いまでも、探求中です。

精神世界に戻りますが、

この精神世界の情報にはドグマ(独断)や偏見、我執といった情報も含まれています。

私も以前はかなりテキトーなことを言ってました(笑)

本で得た知識を元に、

体験したことも無いことを書いていましたね。

今では、それはチョット・・・って思いますけどね。

さて、

これも私の独りよがりの意見かもしれませんが、

精神世界を読み解くには以下の点に注意してください。

◇全体性に帰結する情報であること、逆に自我を増長するような情報は注意が必要です。

◇この世の全ての生命、存在が同等であるという視点で書かれた情報か?

◇高次元の存在、天使等は自我を持たない存在であるはず。例えばアセンデッド達は自我から無我へ至っているはずなので、そういった観点から書かれている情報なのか?

◇生命を生かし合う情報か?

◇善悪二元的な観点で書かれている情報は特に注意!

◇不幸や死、病に関して煽っている情報も特に注意!(病・老・死は生きている上で当たり前の現象です。)

どうでしょう?

思い当たる節はありますか?

ただ、そういった情報があるからと言って、全部間違いだと決め付けてもいけません。

それぞれ、その情報の書き手が道程であるという視点で見つめてくださいね。

私も道の過程である一人です。

宗教や道徳は根底的に人を生かすとか生かし合う、

社会から争いを少なくする目的で作られています。

ひとつの教義がおかしいと言って、その宗教が全部間違いだと言うのは過ちですよね。

最後に、一番大事なのは「生かし合う」という情報が一番確実で疑う余地の無い情報です。

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byガム

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