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空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
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 「あるがまま」を認識すると、

そこになにものにも捉われない「大いなる自己」を発見します。

「あるがまま」とはそれを受け入れることではありません。

「あるがまま」になるのでもなく、

私はそれであると、

またはそれであったと思い出すことです。

そこには捉われも、怒りも、憎しみも、悲しみもありません。

ただ「あるがまま」に私達は存在し、

ただ「あるがまま」に私達は「大いなる自己」を忘れ去っていたことを知ります。

自我に捉われていた私を優しく受け止め、

そして、鳥カゴから心を開放します。

鳥カゴから開放された心は、

同じように鳥カゴに捉われている同胞(私自身)の心を開放するかもしれませんし、

鳥カゴの周りで自由に飛び、さえずり、早くでておいでと囁くのかもしれません。

「あるがまま」の心は、世界に生まれてきた目的を思い出します。

それは、私達の心で新たに生まれるでもなく、最初から知っていたことなのです。

あたかも、鳥が本能的に飛べるように、飛べなかった鳥が再び空を舞うように。

束縛から解き放たれた心は、

多くの同胞を解放する者、

新たな道を進む者、

いままで通りの生活を優しい目線で見つめながら営む者、

それぞれが自分の道を飛んでゆきます。

「あるがまま」の心は、

何者も否定せず、道に迷っている者も否定せず、カゴに留まっている者も否定しません。

道を汚し、貶め、蔑みする者も否定しないのです。

ただ、その軌跡を世界の空に描くのです。

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生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

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 魂の真実に気づきさえすれば、

この世には優劣、区別、差別がないことに気がつきます。

宇宙は「ありのまま」に私達を愛してくれていて、

良いとか悪いとか区別しないんですね。

なんの付加もしない光を宇宙は私達へ届けていてくれています。

区別しているのは、

私達の大勢が持っている観念がそうさせているだけなのです。

その区別が真実ではないと気付くことが、

「悟り」とか「覚醒」とか「内在する神に気付く」と呼ばれる状態で、

特別なマインドではなくて、自然なマインドに帰還することです。

ナチュラルな心と呼んでもいいですし、ベイビーハーツと呼んでもいいでしょう。

とにかく、私達は自然なマインドと呼ばれる状態から、

社会の発展という全体的な意識の中で、競争したり能力偏重主義から分裂する意識を作り上げて、

それがあるがままの人の姿だと勘違いしています。

しかし、その自然ではない心の状態は、

この社会の中で私達人が成長するために必要なツールの一つで、

罪悪とか呼ばれる状態ではありません。

逆に、そういった自然の心の状態ではないネガティブな心の状態がないと、

自然な状態に帰れないんですね。

自然なマインド、あるがままの心といった意識を体験すると、

過去の悪い出来事や争った人達への想いが、

妄想の中で思い違いをしていたことに気がつきます。

さらに、その出来事ですが、悪いと思っていた過去が必要な事だったと思えるようになります。

ですから、「あるがままの心」を実感すると、

悪い過去などなかったのだ!と気付くのです。

巷では「悪い過去を引きずらない」とかよくいわれます。

しかし、これは「悟り」という状態を体験していない方がいうことです。

目が開いていなかった自分をどうして、責める必要があるのでしょうか?

さらに、善悪とか良し悪しがない真実の世界に達すれば、

罪悪感は感じないはずです。

自分の過去を許せない人は未だ、エゴが作り上げた幻想の中に住んでいます。

ただ、気をつけていただきたいのは、

「悟り」を得た人とそうではない人との優劣はないということを知っておいてくださいね。

宇宙は真理を知った人と、そうではない人との区別はしません。

真理を知った人は、宇宙との付き合い方や利用の仕方を知っているのに過ぎません。

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生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。

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 私達は目や耳等の感覚器官を通して、出来事を知覚します。

清々しい朝日、星が散りばめられた夜空、優しく光る月、

朝を知らせる小鳥のさえずり。

それらを感じて認識するとき、私達は私自身の体を感じ、認識しています。

見られる客体が存在しなければ、見ている私は感じられません。

そして、あなたの外に認識できる生物や現象には、好みや、比較、好き嫌いもなく、

認識へ心の働きかけをして選別や情動をしているのに過ぎません。

例えば、貴方が今いる部屋に窓があるでしょうか?

そういわれて、貴方は窓を探します。

しかし、貴方は何故「窓」といわれて、部屋と外界を結ぶ「窓」を見たのでしょうか?

過去の記憶と経験と学習が貴方の心に窓を想像させ、

そして、経験を通した記憶から窓の位置を確認し、目で確かめたはずです。

では、窓の形や大きさガラスの質、これらに選別はあるのでしょうか?

そこに優劣はあるのでしょうか?

窓という言葉は窓を形容する名詞であって、

そこに感受できる心地よさとか不快さといった感覚は付与されてはいないはずです。

私達は感情にすぐに乗せられて真実を容易く見誤り、

そして私的になり、全体より分断されます。

世界はただあるではなく、私という意識下において、

記憶や経験から蓄積されたデータ-から、

見られるものへ変化していくのです。

ここから、人との見解の相違から矛盾や分別が生じてしまいますが、

それを真実ではないと「気づく」ことが重要なのです。
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