空のように透き通った心をみつめて、あるがままへ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
※記事は右のカテゴリーごとに分類して、リンクしてあります。
私達は、生まれながらに自分のことや、この世界の事柄を知っているわけではありません。
人は成長しつつ、感覚器官をとおして、様々な物や言葉を覚えていきます。
生まれてすぐの赤ちゃんの頃は父と母の区別もつかないはずですよね。
しかし、成長するにしたがい、人、男女、犬、鳥、果物、etcといった大まかな概念を学び、
例えば鳥といった概念から、スズメ、ハト、カラスといった判別する認識を持つにいたり、
鳴声から、「あれはスズメ」といった予想もできるようになり、
個人という感覚も身につけてゆきます。
3歳くらいになれば、自分と他人の区別ができるようになり、自己主張もしますよね(笑)
そして、感覚器官から知覚された知識を蓄積してゆき、認識作用が顕著に現れ、
概念、判別、様々な感覚、好き嫌い、執着、欲求といった心の作用を形成します。
学校に入るまでは、親から受け継いだ知識や感覚を基準にして、
物事への基準や価値判断に基づいて行動しますが、
学校に入って、教師、友達との交流、
様々な知識を学ぶことから更に多様な物事を個々に判断する価値判断を持つに至り、
複雑な心を持つようになります。
小学生高学年から中学生くらいになれば、
善悪の観念や道徳観、宗教観、歴史と社会通念からの固定観念を思念したり、
その判断を事例に照らし合わせて、更に個々の価値基準で人や世の中を見つめます。
例えば、ハトとカラスの二種類の鳥類の名前を聞いて、
あなたはどのような印象を思い浮かべますか?
大勢の人はハト=平和の象徴、カラス=ずるがしこくて悪い鳥といった印象でしょう。
まあ、カラスに関しては悪者扱いする童話や賢さから、
ずるくて賢くて悪い鳥と心象するのが普通なのかもしれませんね。
しかし、その心象がまさに観念であり、これが心にフィルターを作り出しています。
観念と呼ばれるフィルターを外してハトとカラスを見比べてみると、
同じ鳥類で、ただ単に色と形、鳴声、習性が違うだけなのですね。
そして、固定観念と呼ばれる観念は、経験と記憶から導き出されています。
昔から伝わる根拠のない迷信や、
今は地動説ですが、大昔の天動説、
一昔前は信じられていなかった、宇宙の多次元説も量子力学の世界では常識になりつつあり、
昔から伝わっているからとか、
大勢がそういっているから、といった知識はあてにならないのですね。
また、個人的な経験からこういった場合にはこうしなくてはならない、
といったものも固定観念ですよね。
私達は個人が育った環境から、人とは違う色眼鏡でそれぞれが世界を見ています。
同じ出来事でも人によって心象(心に思い浮かべる想念)が違い、
物の価値観も人それぞれで、
知らないうちに人からの影響や経験による価値判断を採用しています。
私達は心に厚いフィルターをかけてしまっているのですが、
それが当たり前なのだと思っています。
しかし、これが「あるがまま」の世界を捻じ曲げて記憶し、
怒りや憎しみ蔑みの原因となっているのです。
カテゴリー[あるがままの心]へ
クリックをお願いします。
私達は、生まれながらに自分のことや、この世界の事柄を知っているわけではありません。
人は成長しつつ、感覚器官をとおして、様々な物や言葉を覚えていきます。
生まれてすぐの赤ちゃんの頃は父と母の区別もつかないはずですよね。
しかし、成長するにしたがい、人、男女、犬、鳥、果物、etcといった大まかな概念を学び、
例えば鳥といった概念から、スズメ、ハト、カラスといった判別する認識を持つにいたり、
鳴声から、「あれはスズメ」といった予想もできるようになり、
個人という感覚も身につけてゆきます。
3歳くらいになれば、自分と他人の区別ができるようになり、自己主張もしますよね(笑)
そして、感覚器官から知覚された知識を蓄積してゆき、認識作用が顕著に現れ、
概念、判別、様々な感覚、好き嫌い、執着、欲求といった心の作用を形成します。
学校に入るまでは、親から受け継いだ知識や感覚を基準にして、
物事への基準や価値判断に基づいて行動しますが、
学校に入って、教師、友達との交流、
様々な知識を学ぶことから更に多様な物事を個々に判断する価値判断を持つに至り、
複雑な心を持つようになります。
小学生高学年から中学生くらいになれば、
善悪の観念や道徳観、宗教観、歴史と社会通念からの固定観念を思念したり、
その判断を事例に照らし合わせて、更に個々の価値基準で人や世の中を見つめます。
例えば、ハトとカラスの二種類の鳥類の名前を聞いて、
あなたはどのような印象を思い浮かべますか?
大勢の人はハト=平和の象徴、カラス=ずるがしこくて悪い鳥といった印象でしょう。
まあ、カラスに関しては悪者扱いする童話や賢さから、
ずるくて賢くて悪い鳥と心象するのが普通なのかもしれませんね。
しかし、その心象がまさに観念であり、これが心にフィルターを作り出しています。
観念と呼ばれるフィルターを外してハトとカラスを見比べてみると、
同じ鳥類で、ただ単に色と形、鳴声、習性が違うだけなのですね。
そして、固定観念と呼ばれる観念は、経験と記憶から導き出されています。
昔から伝わる根拠のない迷信や、
今は地動説ですが、大昔の天動説、
一昔前は信じられていなかった、宇宙の多次元説も量子力学の世界では常識になりつつあり、
昔から伝わっているからとか、
大勢がそういっているから、といった知識はあてにならないのですね。
また、個人的な経験からこういった場合にはこうしなくてはならない、
といったものも固定観念ですよね。
私達は個人が育った環境から、人とは違う色眼鏡でそれぞれが世界を見ています。
同じ出来事でも人によって心象(心に思い浮かべる想念)が違い、
物の価値観も人それぞれで、
知らないうちに人からの影響や経験による価値判断を採用しています。
私達は心に厚いフィルターをかけてしまっているのですが、
それが当たり前なのだと思っています。
しかし、これが「あるがまま」の世界を捻じ曲げて記憶し、
怒りや憎しみ蔑みの原因となっているのです。
カテゴリー[あるがままの心]へ
クリックをお願いします。
PR
※記事は右のカテゴリーごとに分類して、リンクしてあります。
誰でも、人に対して怒りを感じる時があり、
どうしても、許せない時があります。
その怒りを持っている時、あなたはあなたの心の中に怒りを生まれさせ、
その怒りを感じている心に怒りを感じ、私的な怒りに身を任せます。
あなたの心と体の内に怒りは生じ、外界には怒りはありません。
怒りを感じている心の外側には怒りはなく、いつもと変わらない世界が存在しています。
私達は、それを長い間繰り返してきました。
なぜ、そうなっているのでしょうか?
真実に気づく意識を持つに至るまで、外に安らぎを求めているからなのです。
外に問題があると思い込んで、私達は外を変えようと躍起になります。
しかし、
本当に変えるべきはあなたの身の内にある心なのです。
あなたの外界の世界は無色透明です。
その、無色透明の世界に感情を投げつけているのはあなたの心です。
人と人、その中に私は存在し、私は大地と空と宇宙に存在します。
絡み合う関係の中で生かされていると気づくのなら、
怒りを感じている対象の私ではない「私」が、
私を生かしていることに気づくのです。
カテゴリー「気づきの日々」へ
クリックをお願いします。
誰でも、人に対して怒りを感じる時があり、
どうしても、許せない時があります。
その怒りを持っている時、あなたはあなたの心の中に怒りを生まれさせ、
その怒りを感じている心に怒りを感じ、私的な怒りに身を任せます。
あなたの心と体の内に怒りは生じ、外界には怒りはありません。
怒りを感じている心の外側には怒りはなく、いつもと変わらない世界が存在しています。
私達は、それを長い間繰り返してきました。
なぜ、そうなっているのでしょうか?
真実に気づく意識を持つに至るまで、外に安らぎを求めているからなのです。
外に問題があると思い込んで、私達は外を変えようと躍起になります。
しかし、
本当に変えるべきはあなたの身の内にある心なのです。
あなたの外界の世界は無色透明です。
その、無色透明の世界に感情を投げつけているのはあなたの心です。
人と人、その中に私は存在し、私は大地と空と宇宙に存在します。
絡み合う関係の中で生かされていると気づくのなら、
怒りを感じている対象の私ではない「私」が、
私を生かしていることに気づくのです。
カテゴリー「気づきの日々」へ
クリックをお願いします。
※記事は右のカテゴリーごとに分類して、リンクしてあります。
さて、皆さん、10円を手にとってみて下さい。
え?
ないんですか?
お財布もってます?(笑)
じゃあ、隣の人に借りてください。
遠慮しないでくださいね、
私の財布ではないので。(笑)
これぐらいにして、えーと、本題に戻りますね。
皆さん、10円玉はどちらが表だと思いますか?
実は、私も自信がなかったりします。(笑)
前もって、wikiで調べてたりして。(笑)
調べた結果、ここに驚愕の事実が今、明かされます。(笑)
10の数字が書いてある面が表だと思いますよね?
違ったんです。
調べてみたら、造幣局では便宜上、
平等院鳳凰堂が刻まれている面が表としているそうなんですね。
と、いうことは、10の数字と製造した年号が刻まれている面が裏になりますよね。
でも、法律上は表と裏って決めていられないそうなんですけどね。
wikiって本当に便利ですねぇ・・・(笑)
また、話が逸れたので、話を戻しますね。
コインの裏と表は今私が話をしたようにですね、
心の思い込みと、便宜上決めた私達の同意で成り立っていて、
表裏を表す文字や絵柄によって、意識が都合のいいように決めているんですね。
だとしますと、10円玉の裏表は、便宜上決められたものであると認識する知識がなければ、
人によって表裏は違ってきますよね。
蛇足なんですけれど、10円玉も金銭と数字の概念を学んでいなければ、認識できません。
では、コインの裏と表は社会であるとか、
会話の都合上便宜的に決めている観念と理解することができます。
※観念・・・表裏に対する感覚、または感覚によって表裏を決めている心理
例えば、
明と暗という言葉なんですけれども、普通は明=善、暗=悪といった感じに人は捉えがちです。
ですが、
「明」という言葉は「明るい」といった状態をいい表していて、
「暗」は単に「暗い」という状態をいい表していているのに過ぎないんですね。
そこで、
有と無。
貧しいと裕福。
美しいと醜い。
天使と悪魔。
善と悪。
陰と陽。
これらの、対極する言葉は片方の極の状態をいい表しますが、どちらが良いとか悪いとか、
人夫々が恣意的に決めていて、
単に状態を表す言葉に良し悪しを心が付しているに過ぎません。
総じていえる事なんですが、全てのあらゆる物事は”あるがまま”起こっていて、
その、”あるがまま”の事象に心が妄想して感情を創作しています。
朝日も夕日も同じ太陽ですよね?
でも、何故か、人は良いとか悪いとかの観念を付けたがるんですよね。
コインは、一枚の丸い平べったい金属でできた物質です。
私達は、固定された視点から物事を見がちで、ある一面からコインを見ると、
表裏があるように見えますが、
俯瞰をしてみて、全体を見ると、コインは一枚の物質だと判ります。
ここで皆さん、
コインを眺めながら、何故、善悪とか良し悪しといった観念が出来上がったのか、
観想してみてください。
それが、「あるがままの心」への歩(あゆみ)となります。
カテゴリー[あるがままの心]へ
クリックをお願いします。
さて、皆さん、10円を手にとってみて下さい。
え?
ないんですか?
お財布もってます?(笑)
じゃあ、隣の人に借りてください。
遠慮しないでくださいね、
私の財布ではないので。(笑)
これぐらいにして、えーと、本題に戻りますね。
皆さん、10円玉はどちらが表だと思いますか?
実は、私も自信がなかったりします。(笑)
前もって、wikiで調べてたりして。(笑)
調べた結果、ここに驚愕の事実が今、明かされます。(笑)
10の数字が書いてある面が表だと思いますよね?
違ったんです。
調べてみたら、造幣局では便宜上、
平等院鳳凰堂が刻まれている面が表としているそうなんですね。
と、いうことは、10の数字と製造した年号が刻まれている面が裏になりますよね。
でも、法律上は表と裏って決めていられないそうなんですけどね。
wikiって本当に便利ですねぇ・・・(笑)
また、話が逸れたので、話を戻しますね。
コインの裏と表は今私が話をしたようにですね、
心の思い込みと、便宜上決めた私達の同意で成り立っていて、
表裏を表す文字や絵柄によって、意識が都合のいいように決めているんですね。
だとしますと、10円玉の裏表は、便宜上決められたものであると認識する知識がなければ、
人によって表裏は違ってきますよね。
蛇足なんですけれど、10円玉も金銭と数字の概念を学んでいなければ、認識できません。
では、コインの裏と表は社会であるとか、
会話の都合上便宜的に決めている観念と理解することができます。
※観念・・・表裏に対する感覚、または感覚によって表裏を決めている心理
例えば、
明と暗という言葉なんですけれども、普通は明=善、暗=悪といった感じに人は捉えがちです。
ですが、
「明」という言葉は「明るい」といった状態をいい表していて、
「暗」は単に「暗い」という状態をいい表していているのに過ぎないんですね。
そこで、
有と無。
貧しいと裕福。
美しいと醜い。
天使と悪魔。
善と悪。
陰と陽。
これらの、対極する言葉は片方の極の状態をいい表しますが、どちらが良いとか悪いとか、
人夫々が恣意的に決めていて、
単に状態を表す言葉に良し悪しを心が付しているに過ぎません。
総じていえる事なんですが、全てのあらゆる物事は”あるがまま”起こっていて、
その、”あるがまま”の事象に心が妄想して感情を創作しています。
朝日も夕日も同じ太陽ですよね?
でも、何故か、人は良いとか悪いとかの観念を付けたがるんですよね。
コインは、一枚の丸い平べったい金属でできた物質です。
私達は、固定された視点から物事を見がちで、ある一面からコインを見ると、
表裏があるように見えますが、
俯瞰をしてみて、全体を見ると、コインは一枚の物質だと判ります。
ここで皆さん、
コインを眺めながら、何故、善悪とか良し悪しといった観念が出来上がったのか、
観想してみてください。
それが、「あるがままの心」への歩(あゆみ)となります。
カテゴリー[あるがままの心]へ
クリックをお願いします。
※記事は右のカテゴリーごとに分類して、リンクしてあります。
目覚めた意識は受動的です。
それはまるで、蜜を集めるミツバチを受け入れる花のように。
花は何者も否定せず、ただあるがまま咲いています。
愛と優しさは受動的であり、花のように寛容です。
激しい怒りのような嵐も、無慈悲な雨も、冷たい霜も、ただ不平をもらさず咲いています。
優しいお日様に顔を向けて、咲いているミツバチを包む花のように愛は寛容なのです。
カテゴリー「気づきの日々」へ
クリックをお願いします。
目覚めた意識は受動的です。
それはまるで、蜜を集めるミツバチを受け入れる花のように。
花は何者も否定せず、ただあるがまま咲いています。
愛と優しさは受動的であり、花のように寛容です。
激しい怒りのような嵐も、無慈悲な雨も、冷たい霜も、ただ不平をもらさず咲いています。
優しいお日様に顔を向けて、咲いているミツバチを包む花のように愛は寛容なのです。
カテゴリー「気づきの日々」へ
クリックをお願いします。