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観念ってなんでしょう?
辞書で調べてみるとですね、
【観念】
・物事に対して持つ考え。(一般)
・具体的な物がなくても、それについて心に残る印象(心理学)
・意識の対象について抱く主観的な※表象(哲学)
※表象・・・シンボル
・実体、概念(対義語)
蛇足ですが、固定観念は思い込みや先入観とは違って、明らかな間違いを固執して(誤りに気が付かないで)自己の観念を変えない場合の事(wikiより引用)を指しているそうです。
調べていると面白いよなぁ・・・
さて、今日のお題は「寒天」のおいしい食べ方についてです。
・・・
もとい、「観念」についてです。
えー、観念とは辞書で引いたとおり物事に対して持つ考えでしたね。
対象物に対して心の働きが加わり物事を判断することなんですが、過去に学習した知識や経験によって物事に対して持つ考えで、「~でなければならない、~であるべきだ、~してはならない」といった思い込みが観念です。
例えば、お金はお金だと「認識」されて初めてお金としての利用価値が生まれ、お金は大事でお金がなければ幸福になれないと思い込むのが観念なんですね。
これを固執して考えを変えないのなら固定観念になるってことで、僕達はこの思い込みと呼ばれる観念を疑うことなく信じ切ってしまっていて、それが当たり前だと思っているんだけれど、人夫々が育つ環境によって全く違う観念を採用しているのに、何故人との違いが生まれるのかも疑問に思わなかったりします。
じゃあ、なんで疑いもなく人は信じているかというと、育ての親がそれを採用しそれに恭順して生活し社会が出来上がっていて、人はそのシステムの中で生きてゆくのが幸福なんだと思い込むからなんでしょうね。
まあ、これも当然といえば当然ですよね、社会に守られていると感じますからね。
そのシステムにケチをつけたら、アンタ、気でも狂ったの?
なんて言われるのがオチだろうし。
まあ、既成社会がそれを当然のようにして人を教育していくので、観念を持つのは当たり前と言えば当たり前でしょう。
で、「悟り」の一段階あくまで一要素なんですが、観念が妄想なんだと気付く事なんです。
ありとあらゆる物事への思い込みは意識が作り出していて、本当はこの世は無色透明だと認識することが「悟り」へ向かう一つの気付きであるといえるのかもしれません。
そして、その観念を突き詰めていくと「私」とか「自分」という意識も、「ああ、妄想なんだなぁ・・・」と気が付いていきます。
注意してもらいたいのは、「~してはならない」の~に殺人、自殺を当てはめて観念だと勘違いすることなんですが、殺人と自殺は観念が大きくなって固執した状態で引き起こされる行為といえるんですね。
その要素を細分化すれば観念のみが問題ともいえないんですが、「私」があるという意識が観念だと気付いたら殺人は起きないでしょうし、「~であるべきだ」という規範に外れている自分を責めなくてもいいということと、自分の行為に罪悪感を感じるのは観念だと気付けば自殺も少なくなるでしょう。
殺人と自殺についてさらに掘り下げれば過去生やカルマがからんできますが、現時点での私の知識ではそれを詳細に説明できないのでここでは言及しませんが、いつか確信がもてたらそんなお話をさせてもらうのかもしれません。
では、今日はこのへんで。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓イヤ!観念はもう堪忍してぇー