[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
飾らず、虚勢を張らず、自分を偽ることもなく、あるがままの自分を認めてもいいんです。
僕達は社会から条件付けされた“人のあるべき姿”を模範にしていますが、そのあるべき姿も貴方の思考の産物でしかないんですね。
こう在るべきだと思い込みをしているだけで、本当はそれは幻想なんです。
意識のスクリーンに投影された幻影でもあるんですね。
判りますか?
こだわりのある内、つまり、自分の姿にこだわり、価値にこだわっている間は本当の自分には出会えません。
・・・
僕達は良い学校に入ろうとか、良い会社に入ろうとか、見た目を良くしてオネーチャンに認めて貰いたいとか、そんな価値を本物だと思っています。
いいですか、ここが落とし穴なんです。
人は求め続ける性質を持っているので満足は永遠に得られないんですよ。
来る日も来る日もただひたすら幻影を追いかけますが、それは”まぼろし”だからこの手には掴めません。
掴めない物を人は真実だと思ってただひたすら追い続けていて、僕達は幻影を追いかけるのが当たり前なんだって妄想しているんです。
社会に統一された価値観は存在しないのに、なんでそんな不確定な価値を追い求めているのか。
花の咲かない森に花をさがしているのと同じなのにね。
まあ、身の外に価値を見出そうとするからなんだろうけど・・・
妄想なんですよ、価値観は。
価値は人の意識が作り上げている幻影なんです。
その価値は不確定で人によって変化する意識の乱数でしかない数字を真実だと思い込んでいるからなんですよ。
無色透明な「私」ってのが、真実の姿です。
だから・・・
ちっぽけでも、自堕落でも、ニートだって、引きこもりだって、欝だって、皆あるがままに生きていてそれでいいんですよ。
だって、人はあるがままに妄想に囚われているんですから。
それを認めて、また、ほんの少しでいいから前に進めばいいんです。
僕達の生は一瞬の光と喩える事もできるし、終わりのない光の前進でもあると表現もできます。
その瞬間を紡ぎだす永遠が僕達なんです。
その生命を表現する場を提供しているのは、他でもない貴方であり私でもあり全体なんです。
生きている価値がないって思い込んでいる貴方が実は、この世界を完成させるパズルのワンピースで宇宙はそのワンピースを永遠に待っていてくれているんです。
だから、等身大の自分を認めてください。
なぜ?と言う問いなしに。
なぜ?と言う問いなしに花が咲いているように。
生きとし生けるもの全ての心に優しい風が吹きますように。
byガム
↓なぜ?と言う問いなしにクリック!(←チョット、強引過ぎない?)